〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/16 (土)  だま (一)

山は、夜に入った。
当然なこととして、内裏方の追撃兵は、ふもと から峰道へまで、分け入っているらしい。木の根、草の根を分けてもと、新院のお行方を、狩り探している動きである。
「もう耐えられぬ。捕われるなら、捕わるもよし、ちん はこれ以上、歩むも うも進むことは出来ぬ。・・・・みなは、みなの思い思いに、朕を捨てて、遠くへ落ちのびてゆくがよい」
風に追われ、木々のそよ ぎに追われ、夜もすがら、如意山中を彷徨さまよ われたため、新院は、極度の御疲労におそわれて、ついに、夜露の中に座ったまま、お息をあえぐばかりである。
人びとは、みな いた。すすり泣いた。
「どうして、わが君を、この山路に捨てて、身ひとつの安全のため、おそばを離れて立ち去れましょうや」
すべての者が、こぞって言った。この気持に、偽りはない。
ことに、為義、忠正などは、武将として、なおさらである。
為義は、涙ながら、おさと し申し上げた。
「どうか、ここ数日を、お忍びください。御苦難にお ちあそばしませ。流亡の辛苦を、玉体に い奉るのは、胸の裂くる思いでありますが、なんとかして、せめて近江路までも越えおわせば、臣らにも、ばんかい の策がないでもございません」
為義が考えている策とは、こうである。
比叡ひえい の東を越えて、湖を渡り、近江へ行って、近江源氏や、甲賀、鈴鹿すずか の豪族をかたらい、瀬田の大橋を引いて、再挙の一戦をはかる。
もし、これが行われなかったら、遠く関東まで落ちて、足柄、愛鷹あしたか切所せつしよやく し、相模、武蔵には、源氏の縁類も多いので、上皇の院宣を給うならば、坂東武者は、あげて御麾下ごきか に、参ずるにちがいない。
たとえ、一戦二戦で、目的は遂げ得ないとしても、さらに、陸奥みちのく の遠くを望めば、決して、御運の極まるわけではない。いつかは、再上洛の機を、うかがうことが出来よう ── という二段三段がまえの、後図こうと であった。
為義のこの考えは、北殿きたどの の敗戦を見ない前からのもので、ひそかに、左府頼長には献言してあったが、ついに頼長には れられなかったものである。
(── が、今でも、なお遅くはない)
為義は、信じている。
新院のおん前に、老躯ろうく を曲げて、切々と説いたのであった。けれど新院のお心はすでにこのとき、この戦いに、悔いておられた。ふたたび、なんのお望みを、世に持とうというおぼ し召しもない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next