〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/14 (木) 兄 ・ 弟 (六)

ふつう、戦闘に使うのは、征矢そや である。鏑矢かぶらや のやじりは、かぶら に似ていて、異様なほど、型も大きい。風返しというくり抜きを施し、 かし目をつけ、これが弦鳴りとともに、飛翔ひしょう するときには、物すごいうなりが生じるように出来ている。要するに、威嚇を目的とした “うなり矢” なのだ。
征矢を入れて、鎧の背に負う箙には、かならず、普通の矢のほかに、鏑矢を二本差しそえて持つのが慣わしであったらしい。何か、花々とした晴れの場所では、これを使う。余談にわたるが、後年、屋嶋ノ浦で、那須与一が、扇を射た時などは、この鏑矢を用いたものである。
そういう矢。── それを、為朝は、引き抜いて、彼の腕力と、弓の耐えるかぎり引きしぼり、二本まで、坂東勢の頭の上を飛ばしたのである。どんなうなりが けたであろうか。そのころの荒武者たちでも、首をすくめて、驚いたに違いない。
「あははは。アハハハ」
彼は、哄笑こうしょう を残して、駈け去った。
一方。── この子、為朝一人をのぞいて、ほか五人の子息を連れて、父子団結して、今朝から、南表と西裏の二門をささえていた六条為義も、終日、受け身ばかりの苦戦だった。
岡崎口の東門をかためていた右馬助忠正の、惨敗ぶりも、また、ひどい。
北の春日表の門も、いくたびか突破され、幾たびか救援隊が、加勢に駈けて、やっと、もちこらえていたものの、守将の左衛門大夫家弘からして、すでに戦意も失いかけていた。
こういう敗色にみちていた折も折りである。烈風の風上から、大きな炎が、築土をこえ、諸門を越え、木々の梢を渡って来た。
さしも、白河離宮と世に聞こえた名園と、それにふさわしい清雅で宏大な建物も、またたくまに、吹き荒れる紅蓮ぐれん黒煙くろけむりうち につつまれ、今は、敗戦の現実を身に知った人びとの、あえない いや叫喚も、仮借かしゃく ないき炎の下のものとなった。 

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next