まだ、日没には早いのに、陽は妖
しくも翳かげ りだしていた。それは一天の黒煙であって、煙の中に、赤銅あかがね
いろの太陽が、まだ都の西空に、大きくかかっているのが見える。 その前に、義朝は戦場から内裏へ、早馬をやって、一書を少納言信西に送り、内裏の指令を、仰いでいた。 (このまま夜に入って、万一、宇治方面の敵の増援でも着いたら、勝敗のほどは分かりません。少なくも、戦局は、非常な困難となり、戦場では洛内らくない
全土に拡ひろ がりましょう。──
急に勝たんためには、敵の籠こも
る白河の旧離宮へ、火をかける以外、策はありませぬ。ただ附近には、法勝寺など七堂伽藍の宝舎が多く、畏おそ
れもあり、惜しみもされますが、洛中の民を焦土に立たせるよりはと、敢て、勅諚ちょくじょう
を仰ぐ次第です。否との、仰せなれば、そのように、戦い、もしお許しなれば、直ちに、火攻めを謀はか
りたいと思います) 彼の奏請そうせい
は、殿上の議判のも及ばず、大将軍の謙虚、神妙なり、と言われて、すぐ御聴許になった。 そこで、義朝の部下は、白河北殿の風上を選び、またそこから一番近い藤とうの
中納言家成の館に、火をつけた。 おりから、西風もつよく、この幾日かは、雨もなく乾きぬいていたので、たちまち、白河南殿の車宿くるまやどり
と、舎人とねり 長屋に飛び火し、みるみるうちに、北殿の桟敷殿も、煙に包まれだした。 「やったな。為朝がおそれていたのは、坂東武者よりは、火だ。あの火の手だ。──
さすがは、兄よ、戦いくさ を知っている!」 為朝は、ほとんど、殲滅せんめつ
的に、味方の者を打ち減らされた血漿けつしよう
の敗地に立って、そうつぶやいていた。炎の空を見、惨として笑った。 「── いかに、お心は猛たけ
くとも、老いたる父上のお身も気づかわしい。今は、退の
き口とって、ひとまず、退ひ くしかあるまい」
残り少ない郎党を呼びまとめて、一かたまりとなり、追い矢の疾風を浴びながら退却しかけた。すると、敵は、勝ち誇って、口々に、罵ののし
りながら、なお、尾つ け慕って来た。 ──
為朝は、馬を向けなおして、 「小うるさい、東国兵め」 と、めったに使わない、鏑矢かぶらや
を、箙えびら から取って、例の強弓を、がっきと、咬か
ませた。 |