〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/13 (水) 兄 ・ 弟 (三)

宝荘厳院の西裏の戦いは、その日のどこよりも、激烈を極めた。
地形は、長い長い寺院べい に添っている片側並木。道を隔てて、草原をかかえ、白河の支流が淙々そうそう とうねっている。野末遠くは、七勝寺の伽藍がらん 堂塔どうとう の森であり、大文字山、如意山などを、うしろにしていた、絶好の野戦場である。
両軍は、ここに入り乱れて、おびただしい血を流し、陽が中天となるも、退かず、陽が傾くも、なお戦った。
為朝は、坂東武者のむらかっている遠いほこりの中に、ときどき、兄義朝の影を、チラチラ見た。義朝は、人並すぐれた体躯たいく の持ち主であり、源太産衣が、目印めじるし になるので、よくわかる。
幾たびか、それへ、射心しゃしん を、向けて、
「いっそ、ひと矢に ──」
と、いう気も、抱かないではなかった。
けれど、ふと、思いもした。
弓矢の家の、こんどのような苦しい立場から、ことによると、父と兄は、何か、ある黙契があるのではないかと。──父はしょく に仕え、子は呉臣ごしん たりというような例は、漢土の大陸ではあったと聞く、呉が敗れたら、父をたの め、蜀が負けたら、なんじを恃もう。── そういう黙約が、父為義と、兄義朝のあいだに、なかったとも言い切れない。
「いやいや、そんなことは、あろう道理がない。命をかざしいぇ、しのぎを削る、家の子郎党に対しても」
兄ばかりでなく、彼は、敵方の郎党でも、いど みかかって来る武者でなければ、むやみには、えびら の矢をつが えなかった。
射れば、必ず倒し、倒せば、無残に、一矢で殺すのを、余にも見、余にも信じているからだ。
しかし、義朝の手の者には、為朝の矢さきをすら、ものともしない精鋭が多かった。
斉藤別当実盛さねもり 、金子十郎、片桐小八朗、大庭おおば 平太景義、弟の景親、豊島としまの 四郎、秩父行成ちちぶのゆきなり など、名乗りかけ、名乗りかけて、駈け巡りあい、いまは、陣地のけじめもなく、乱軍になった。
その中でも、武蔵の住人、斉藤別当実盛、生年三十一 ── という若武者のまえには、手にあう者がなかった。
為朝の腹心の一人、悪七別当すら、実盛のために、首をあげられた。
また、鎌倉五郎が末葉と名乗る大庭景義、景親兄弟のためには為朝の部下、幾人もが討たれた。
すべて、為朝が、恃みとしていた二十九騎の猛兵のうち、二十三人までたお れ、そのほかの兵も、あらかた を負った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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