一頭の放れ馬が、寄手の義朝の陣の一角へ、暴れこんで来た。 奔馬は、隊伍
の禁物であった。一頭の狂いが、数百頭の馬どもへ、感染して、たちまち、全軍の狂いになるからである。 「抑おさ
えろ。抑えろ。手綱を踏め」 歩兵たちは、手を広げ合って、かなたこなたへ追いつめ、やっと、悍馬かんば
の口を取り押さえた。そしてふと、鞍くら
を見ると、血がたまっているし、尻輪には、見たこともない大きな鏃やじり
が立っていた。 「おや、これが鏃だろうか。これを射るほどな弓とは、いったい、どんな強弓だろう」 「さては、八朗御曹司の射られた矢に違いない。後の語り草にもなろうで、そのまま、おん前にひいて来い」 鎌田次郎正清は、義朝の前へ、手綱を引かせて来た。そこでさて、彼は言った。 「御覧ぜよ、この矢じりを。かねて、うわさには聞いていましたが、なんと、いかめしい御ご
弓勢ゆんぜい ではありませぬか」 しかし、義朝は、得心しなかった。苦笑して、むしろ、正清の恐怖を、あわれむように、 「なんの、まだ筋骨きんこつ
も固まらぬ為朝に、そんな強弓は引けるわけがない。思うに、わざと、作り事を設け、こけ脅おど
しの詭計きけい をかんがえたものだろう。正清、ここの兵を分けて、為朝の陣へ一当て当ててみよ」 鎌田正清は、望むところと、軍兵二百ばかりで、河原門へ襲よ
せて行った。自身、まっ先に馬を立て、下野守の郎党、相模の住人 ── と、この時代の風習のまま、郷土、家系、職名、姓氏などを、陣頭の礼として、名乗りかけると、かなたの為朝は、 「さてこそ、一家け
の郎党よな」 と、駈け現れて、 「正清、何しに来た。八朗の矢面に立つ気か」 と、言った。 正清は、威圧を覚えたが、我と我が声を励まして、 「きのうは、主家の御曹司でも、今日のあなたは、八逆はちぎゃく
の凶徒です。正清の矢は、勅によるもの。── 者ども、違勅の輩やから
を、討って取れ」 と、一矢を放って、すぐ、味方のうちに、駈けまぎれた。 為朝の冑かぶと
のしころにその矢が立った。為朝は、引き抜いて、地にたたきつけながら、 「吐ほ
ざいたな、正清。それほどの男ならば、為朝が、手づかみにして、顔を見覚えておいてやる」 と、いきなり敵兵の中へ駈け込んだ。 | |