〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/10 (日) 加 茂 川 濁 水 記 (二)

さて。── 新院方でも、築地ついじ 越に、弓をならべて、寄せ手の兵を、待ち構えたが、矢ごのの距離まで来ると、官軍は、鬨の声ばかりあげて、容易に進んで来なかった。
「ムダ矢は放つな。打って出て、つきくずせ」
為義が、南と西の二門を開かせて、自身、馬をすすめ出すと、八郎為朝が、
「先陣は、わたくしが」
と、父の前を、 け抜けようとした。
すると、四男の頼賢よりたか が、
「八郎、僭越せんえつ だぞ、先陣は、おれにゆずれ」
と、喧嘩けんか になりかけた。すると為朝は、すぐ譲って、
「ええ面倒だ。だれでも、先を駆けろ。おれはおれの戦場で戦う」
と、西の河原へ、駆け去った。
頼賢を乗せたこま は、見ているうちに、味方を離れて、敵勢に近づいていった。そして、暁闇ぎょうあん の第一声を張りあげ、
「ここに寄するは、源氏か平家か、名乗れ、聞かん。かくいうは、六条為義が四男、左衛門尉頼賢」
と、名乗った。
白河の水が分かれそそぐ流れの向うに駒を立てて、名乗り返す者があった。
「下野守殿の郎党、相模の国の住人、須藤刑部丞が子、滝口の俊綱。── 先陣をうけたまわって候う」
いわせも果てず、頼賢は、
「さては、一家の郎党よな。なんじらを射ても何かせん。大将下野守をこそ」
と、一矢を放ち、また一矢を手早くつがえて、義朝のいる辺りをねら って放した。
矢は、義朝の身近にいた二人の郎党を、射たおした。
それを見すまして、頼賢が、駒を返すと、俊綱の射た矢が飛んで来て、かれの、かぶと の内びさしに立った。頼賢は、そのまま、味方の方へ駒を飛ばし、味方の歓呼の中へ迎え取られた。
「今のは、四郎だな。小ざかしい弟」
と、義朝は、郎党二人を、かれの矢でたお されたので、たちまち、感情に燃え、
「父上をそそのかして、新院方へ走った他の弟どもにも、思い知らせてやらねばならない」
と、頼賢のあとを、追いかけようとした。
鎌田次郎正清が、馬のくつわをおさえて、
「およしなさい」 と、止めた。 「大将御自身、出るところではありません。百騎、千騎と、まとまって、乱軍となり、勝敗の分かれ目というときこそ、自然、お働きになる戦場となりましょうが、まだまだこんなことでは」
と、味方の大勢で、囲い込んでしまった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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