〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/09 (土) よろい さわ ぎ の 事 (二)

脛を飛ばして来る者、馬にムチ打って出て行く者、物見の出入りは、ひきもきらない。こうして、十一日には、もう交戦状態であった。
「ゆうべ、お味方の宇野七朗一族が、大和の奥郡から、宇治路を急いで来る途中、清盛の二男基盛のために打ち破られ、七朗以下、十六人も生け捕られた」
と、聞こえてからは、いよいよ敵の殺気を身近覚えて、殿上も武者だま りも、すべて、日ごろの顔が、一変していた。
中でも、頼長は、あの長い馬面に、硬直をあらわして、のべつ到着の兵数を、気にしていた。
宇野七朗のほか、あてにしていた各地の郷兵で、着かない武者も多かった。── しかしなお、奈良、吉野の法師軍二、三千が、やがて入洛じゅらく して、ここと呼応のかたちをとり、内裏方を、腹背から脅かすことになろう ── という予定の信念は、ゆるがなかった。
すると、十一日の夜に入って、まもなく、
「や。・・・・火の手だ。三条あたりに」
という、動揺どよ めきに、頼長は、桟敷殿の欄に出て、夜空をながめた。
加茂川をへだてた街中から、初めは、うすい火色がさしていたが、やがて大きな炎が立ち、空の一部を、火の梨子地なしじ にした。
「はて、法師勢の後ろ攻めにしては、早すぎるが?」
諸門には、物見の馬が、 けつけていた。口々に伝えるのを総合すると、三条柳ノ水の御所へ、急に内裏方の一部隊が襲撃して、中にいた新院方の伏勢を、包囲しているものと分かった。
「すぐ、加勢をやって、柳ノ水の伏勢を、救出して来い」
頼長は、桟敷殿を降りて、わめいた。しかし対岸は敵勢力の中であり、それは無謀の挙であると説いて、右馬助忠正も、源ノ為義も、くみ しなかった。
主将の二人に反対されたので、頼長も、思いとまるほかなかった。
けれどなお、為義も忠正も、彼の素人しろうと 兵学にたいする警戒の念は去らない。詭計きけい を好む頼長は、柳ノ水の御所のほかにも、市街の諸所に、早くから、私兵を潜伏させておき、奈良、吉野の僧兵が洛内へ攻め込むと同時に、内裏の周囲を攪乱こうらん せよと、埋伏まいふく の計なるものを、施してあるものらしい。
日ごろから頼長は “たけ き悪左府” と言われていたが、ことを げてからの彼には、一そうの鋭角が言行に出ていた。── 宇治から入陣するにも、本街道へ、にせ 牛車をやり、自身は輿こし で間道を越えて来たなど、いかにも、彼らしい奇策ではあった。
また、この北殿へ、入った時にも、次のようなことがあった。
彼はさっそく、美々しいよろい を、数多く取り寄せて、新院へも、お着せ申し上げ、自分も白の狩衣の上に、 おどしの一領を着こんだ。そして近習の公卿、殿上たちへ向かい、
方々かたがた も、長袖ながそで をすてて、武装されよ」
と、鎧の着用を迫った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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