「余りに、虚実に惑うと、合戦の機を外
して、敵に乗ぜられること、万々です。──自分が思うには、奈良、吉野の法師勢が、明日入洛したら、お味方は腹背に敵をむかえ、十のうち一の勝利もおぼつかなしと思われます。勝機は今宵か明朝までです。我から夜討をかけて、新院方の不意を衝き、一方、奈良、吉野の後詰うしろまき
を、むなしきものとしてしまうこと。それしか、良計はないと信じます」 「いみじくも、申されたり」 と、信西は、陛下のおうなずきを、いちいち受けて 「詩歌しいか
管絃かんげん は、公卿のよくするところであるが、軍いくさ
については、もともと、我らには何の知識もない。すべてを、御辺ごへん
の指揮に任すであろう」 「では、内裏は清盛に任せ、義朝はただちに、敵へ馳は
せ向かって、夜の明けぬまに、勝負の火の手をお示しします」 「いやいや、そうと決まったら、清盛を止めておくには及ばぬ。全力をこぞって、当るがいい」 「本望に存じます。天運のほどは、わかりませんが」 「凶徒を平定し、君の宸襟しんきん
をやすんじ奉れば、恩賞として、御辺の昇殿しょうでん
は、約束されてあるようなものぞ」 「なんのなんの、戦場へ出る武士に、明日のことなど、あてにしていられるものですか。どうせ賜る恩賞ならば、たった今、昇殿して、今生の思い出といたしましょう」 いうかと思うと義朝は、
「こは、いかに?」 と驚き騒ぐ公卿たちを、ながし目に見て、笑いながら、階きざはし
をのぼって、玉座をななめに、腰をかけた。 (いかに大将とて、地下ちげ
の野人が) と、眉をひそめる者もいたが、文が武に、全生命を託すとなれば、義朝ならずとも、また、この場合でなくても、自然、両者の位置が、均衡を求め、ひいては、逆転してくることも、極めて当然な結果であった。それを、率直に、行為にしてみせた義朝は、むしろ直情な人物と、いえないこともない。 人びとは、主上のお旨を畏おそ
れて、色めいたが、しかし、陛下はかえって、御興ふかげに、笑っておいでになった。── あるいは、美福門院などのお口から、かねがね九条院の内の恋物語など、お聞きになっておられたやもしれない。事実、九条院の侍かしず
きの常盤と義朝の恋を、うすうす知っていた者は、みな、陛下と同じような微笑をもって彼を見ていた。 こうして、内裏方はすでに、その夜から、奇襲作戦が決まっていたのに、白河北殿にたてこもった新院方では、なお悪左府頼長の主張があって、諸軍の士気と方針とは、必ずしも、一致したとは、見えなかった。
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