〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/08 (金)  しょうえつ しょう (一)

基盛の兵力のうちには、きょう 雑兵ぞうひょう の弱い分子もあったが、伊勢武者、伊賀武者などの、強靭きょうじん なのも、交じっていた。── 基盛は、小高い所に立って、
「敵は、目づもりにも、四、五十騎に足らない小勢。一人へ、五人六人してかかれ、から め捕って、内裏への初見參に入れよ。── 伊賀、伊勢の者ども」
と、わざと、地方武者の郷名さとな をさして、はげ ました。
彼らの間には、日ごろといえ、郷党的な対立意識が強かった。一人の恥は、郷土の恥とし、名乗るにも、郷名をいう習慣さえ持っている。
奥郡おくごおり の源氏ごときに」
と、伊勢、伊賀の兵は、衆をこえて、奮戦に出た。味方は、二百余人の大勢である。地位を変えて、宇野源氏党を、包囲した。
宇野七朗親治は、さいごまで、力戦したが、ついに鈎鉾かぎぼこ の先に掛けられて落馬し、多勢に組み伏せられて、 られた。
彼の宗徒むねと の者、十六名も、捕虜になった。
逃げたのは、幾人もなく、あとは討死か、動けない重傷者だった。
基盛は、親治以下を、縄目なわめ にして、宵のまに、内裏の北の陣へ引き渡した。そしてまたすぐ宇治へ引き返そうとすると、彼の為に、即夜、仮の除目じもく (任官式) が行われた。
事は、叡聞に入って、主上は御感の余りに、特に彼に対して、正四位下が授けられた。
基盛の父、清盛が、一族を連れて、参陣したのは、この夜の明け方であった。内裏の諸軍は、彼を迎えて、大いに士気を高めるとともに、清盛の顔を見ると、だれもすぐ口々に言った。
「御次男の基盛どのには、早くも、宇治路において、宇野親治以下を生け捕りにし、合戦初めの殊勲をおあげになりましたぞ」
親心が、つい顔に燃える。清盛はにこにこ顔だった。それらの諸将に参陣の遅刻を びてまわり、やがて東門の幕営を訪うて、下野守義朝へも、あいさつをした。
「やあ、安芸殿か」
「下野殿、久しぶりよな」
二人は、相見て、先ず言った。
ここ両三年、義朝が、院の北面、西面ともに指令する上将となってからも、清盛とは、めったに顔を合わせることもなかった。こう親しく言葉を交わすのは ── もう十年以上かも知れない ── と二人のひとみ は、何かを、思い出し合っていた。
鳥羽絵の僧正が亡くなって、秋の洛外の道を、その会葬に行って、帰る途中であった。連れの佐藤義清に紹介されて ── 清盛は初めて、六条為義の嫡男なるこの源家の曹司そうし と知ったのである。
そのとき、義朝は、近く鎌倉に住むようになろうと語っていた。その日の連れの義清は、まもなく出家して、今は名も西行法師とかえ、歌を友として、旅と自然の中に、生涯の道を求めているとか聞く。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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