新院へ馳
せつける地方武者を阻止せよ ── と命ぜられて、十日の朝、宇治路へ向かって行った基盛もともり
(清盛二男) は、大和街道の要所を見定めて、道を遮断しゃだん
し、同日の午すぎには、もう、きびしい往来検あらた
めにかかっていた。 何も知らず、都へ入ろうとする旅人も追い返され、反対に、都から田舎へ落延びようとする内裏の官人や雑色も、 「この期ご
になって、御所をうしろに、どこへ参るぞ。月の宴、花の集つど
いには、ともども浮かれながら、恥こそ知れ」 と、もとの道へ、皆、追い戻された。 昨日までの地下人ちげびと
も、今日は言葉づきまで、ちがっている。どぎつい太刀や薙刀なぎなた
がいうのである。往来の人間が、もな唯々いい
として、意のままになり、自然、武力の威を知るにつれて、言語ばかりでなく、面構つらがま
えから、四肢しし の動かし方まで、無意識に変わって行った。日ごろ、車雑色だのヘイライだのと、小者扱いにされていた一兵はど、権力の快味に酔い、急に自分たちが、すべての人間の上に、のし上がったような錯覚をもった。 「や、や。
・・・・あれは?」 「誰た
ぞや、貴人の牛車らしいぞ」 「やるな。── 供も多いぞ、油断すな」 一つは網代車あじろ
、一つは花うるしに鍍金ときん
金具かなぐ の美々しい牛車。舎人とねり
、雑色など、二十人あまりを具して、この関せき
なき関所へ、かかって来た。 「待て、待てっ。・・・・いや、待たれい」 兵たちは、わらわらと、道を阻はば
めた。 この道の重要性は、さきに、宇治へ去った悪左府頼長が、ふたたび上洛じょうらく
するのを、待ち伏せて、あわよくば、頼長を搦から
め捕と ろうというねらいにもあった。 で、基盛も、その部下も、 「すわ、悪左府」 と、目的のものが、網へ懸かったように、気負いこんだものなのである。 とkろが、取り調べてみると、それは山城前司やましろのぜんじ
重綱しげつな と、菅給料すがのきゅうりょう
業宣なりのぶ の二人だった。 二人は、宇治の忠実の別荘へ行ったには違いないが、まったく、軍事には無関係な、内裏の公務をおびて訪ねたのであるといい
── それらの書類まで示したので、文官の吏務には晦くら
い武者たちなので、深く追求も出来ず、ついに、通してしまった。 けれど、これはまったく、左府頼長の替え玉だったのである。 頼長は、すでに前夜、宇治を脱け出し、わざと張輿はりごし
に乗って、醍醐路だいごじ から都に入り、新院のおられる白河北殿へ入っていた。 おかしなことには、さきの二卿も、自分たちが、そんな危険な替え玉に使われていたとは知らなかったものらしい。夜に入って、白河北殿へ着いてみると、附近の辻々つじつじ
から、諸門、内庭にいたるまで、甲冑かっちゅう
の将兵や軍馬が充満しているので、こはいかにと、人びとに訊たず
ねると、今夜にも、合戦になろうと聞かされて、急に、面色お失って、 「あな怖ろし、鬼の内飼うちが
に成りつるか」 と、ふるえ上がって、泣いたということである。 |