〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/07 (木) 宇 治 の 関 (二)

新院へ せつける地方武者を阻止せよ ── と命ぜられて、十日の朝、宇治路へ向かって行った基盛もともり (清盛二男) は、大和街道の要所を見定めて、道を遮断しゃだん し、同日の午すぎには、もう、きびしい往来あらた めにかかっていた。
何も知らず、都へ入ろうとする旅人も追い返され、反対に、都から田舎へ落延びようとする内裏の官人や雑色も、
「この になって、御所をうしろに、どこへ参るぞ。月の宴、花のつど いには、ともども浮かれながら、恥こそ知れ」
と、もとの道へ、皆、追い戻された。
昨日までの地下人ちげびと も、今日は言葉づきまで、ちがっている。どぎつい太刀や薙刀なぎなた がいうのである。往来の人間が、もな唯々いい として、意のままになり、自然、武力の威を知るにつれて、言語ばかりでなく、面構つらがま えから、四肢しし の動かし方まで、無意識に変わって行った。日ごろ、車雑色だのヘイライだのと、小者扱いにされていた一兵はど、権力の快味に酔い、急に自分たちが、すべての人間の上に、のし上がったような錯覚をもった。
「や、や。 ・・・・あれは?」
ぞや、貴人の牛車らしいぞ」
「やるな。── 供も多いぞ、油断すな」
一つは網代車あじろ 、一つは花うるしに鍍金ときん 金具かなぐ の美々しい牛車。舎人とねり 、雑色など、二十人あまりを具して、このせき なき関所へ、かかって来た。
「待て、待てっ。・・・・いや、待たれい」
兵たちは、わらわらと、道をはば めた。
この道の重要性は、さきに、宇治へ去った悪左府頼長が、ふたたび上洛じょうらく するのを、待ち伏せて、あわよくば、頼長をから ろうというねらいにもあった。
で、基盛も、その部下も、
「すわ、悪左府」
と、目的のものが、網へ懸かったように、気負いこんだものなのである。
とkろが、取り調べてみると、それは山城前司やましろのぜんじ 重綱しげつな と、菅給料すがのきゅうりょう 業宣なりのぶ の二人だった。
二人は、宇治の忠実の別荘へ行ったには違いないが、まったく、軍事には無関係な、内裏の公務をおびて訪ねたのであるといい ── それらの書類まで示したので、文官の吏務にはくら い武者たちなので、深く追求も出来ず、ついに、通してしまった。
けれど、これはまったく、左府頼長の替え玉だったのである。
頼長は、すでに前夜、宇治を脱け出し、わざと張輿はりごし に乗って、醍醐路だいごじ から都に入り、新院のおられる白河北殿へ入っていた。
おかしなことには、さきの二卿も、自分たちが、そんな危険な替え玉に使われていたとは知らなかったものらしい。夜に入って、白河北殿へ着いてみると、附近の辻々つじつじ から、諸門、内庭にいたるまで、甲冑かっちゅう の将兵や軍馬が充満しているので、こはいかにと、人びとにたず ねると、今夜にも、合戦になろうと聞かされて、急に、面色お失って、
「あな怖ろし、鬼の内飼うちが に成りつるか」
と、ふるえ上がって、泣いたということである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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