〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
ほ う げ ん の 巻

2013/03/06 (水) 宇 治 の 関 (一)

為義が、六人の息子と、一族を連れて、新院方への加盟をあきらかにしたのも、十日の夜半。
清盛が六波羅ろくはら を出て、内裏へ参陣したのも、また同じ十日だった。
武門でない公卿朝臣あそん にしろ、事実上、すべての人々が、この十日じゅうには、およそ、去就を決めたらしくみえる。
法皇崩御の日から、わずか、七日間の急変だった。右往左往という文字通りな騒ぎであったにはちがいない。
もちろん、中にはやまい と称して、門を閉じ、内裏へも新院方へも、姿を見せない公卿もあった。春宮大夫とうぐうのだいぶ 宗能むねよし や、徳大寺内府実能さねよし などは、その組だった。実能の弟、左京大夫教長のりなが は、新院のお使いとして、ついに為義父子を味方へ誘うことに成功はしたが、同夜、白河北殿へ帰って、復命するとすぐ、洛外らくがい の寺へ走って、出家してしまった。
また、夕顔の三位経宗つねむね は、頼長について宇治へ行ったはずだったが、宇治を去ったきり、新院にも都の内にも、姿を見かけた者はない。── そういう日和見ひよりみ 主義のだれかれに対しては、朝廷からも、また新院方からも、出仕命令を発し、
(職局を離れ、所在を明らかにせぬ者は、事後において、懲罰に付さん)
と、下達したが、なお、届け出ない公卿官人が、少なくなかった。
彼らは日ごろ、無責任な理論をもてあそび、公務を感情で裁き、権威の対象者からいろいろな悪材料を拾って来ては、 びを売っていた者たちである。いわば無意識にせよ、戦乱の火ダネを育てて来た下手人げしゅにん であった。けれど、こう急速に、事態が戦争に突入し、二つの陣営に分かれて、敵味方以外の人影が見えなくなると、まるで、予期しなかったことみたいに、狼狽してしまった。二つの陣営の一方を選ぶ思慮も失っていた。
そこで、あらゆる怯智きょうち と偽装をとって、彼らは、戦乱の圏外をさがした。けれど、都のうちには、二つの地帯以外、傍観者の為に安全そうな場所はなかった。といって、山野へ走るには、生涯、官途も都の居住も思い切るのでなかればならず、のが れてみても、家や食糧に窮することは分かりすぎていた。いやそれどころか、もう都を一歩離れると、戸惑い官人や、その家族や、避難民などを待ち構えて、三途さんず の渡し場よろしく、
(── さあ、おれたちの時節到来だ)
と、手につば している野盗が無数だとも聞こえ出している。その凶暴ぶりや無慈悲な実状を伝えるうわさも、恐怖的であった。
こうして、発火寸前の空気をたたえながらも、まだ、十日の夜半までは、両軍とも、戦闘にははい っていなかったが、実際には、同日の夕方、まだ薄明るい頃に、都の外では、もう戦端が開かれていたのである。
それが、保元の役の、最初の前哨戦ぜんしょうせん であり、同時に、洛中の大衝突を、一挙に爆発させた口火でもあった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next