〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
九 重 の 巻

2013/03/05 (火) げん うぶ (一)

九条院の雑仕ぞうし常盤ときわ は、二十歳であった。そしてもう、三つになる今若と、ことし生まれたばかりの、乙若を、乳房に抱えていた。
彼女が仕えている主人 ── 九条院というのは、去年の夏、まだ年少にしてみまかられた近衛天皇の中宮、藤原呈子のことである。
かの、忠実、頼長親子が、家の一女を、皇后に立てようとして、故法皇にせまり、摂政忠通とたたかい、ついに、自己の門から出した藤原多子を皇后に立ててしまった ── あの激烈な皇后争いのときの ── 相手の一方の女性が、つまり今の、九条院の御方なのだった。
なんというはかなさ。流転るてん の花の目まぐるしさ。
皇后となった多子に方も、まだ、情勢の青春に会わないうちに、落飾らくしょく こそなさらないが、孤閨こけい をまもる太后の称号を受け、厨子ずし とも見える春なき門のうちに、生ける位牌いはい のような、余生の人とは、成り果てている。
もちろん、呈子も、それからは、尼院にひとしい清楚と、哀寂の内殿に深くこも って、年少可憐かれん なる先帝のみたまを、月に花に、弔うのみが、日課のような生活に籠っていた。
中宮であったときの、多くの官人や女房たちも、ごく少数に、 らしてしまわれたが、常盤だけは、呈子が、一しおお目にかけていた者だけに、
「そなたは、いつまでも、ここに居て も。もし、乳のみ子が、母恋しと、泣くならば、ここの園の端に、ささやかな家をもち、そなたの老母とともに住むもよい」
と、なかなか、いとま をくれないのであった。
もっとも、この常盤は、呈子の実父、伊通これみち 大納言が、彼女が中宮に立つとき、よい侍女かしずき をと、都の内から千人の童女を募ったとき、すべての内から百人を選び出し、さらに十人の美少女を選り抜いて採ったという ── その十人中でも、容姿、教養、一番といわれたほどの美人である。
そのとき、常盤は、十五の女童めわらべ であった。── わずか、五年のかしず きではあったが、こま やかな情操と、あたたかな心ばえとが、こよなく、呈子のさびしい胸の友にもなって、主従というかたちでこそあれ、離れともない、離したくない、気持に、結ばれていた。
ところが、いつの頃からか、その常盤には、恋人が出来ていた。
忍び男は、下野守義朝と、うわさも、梅の香のほのかなほどに知れそめたころ、もう彼女は、今若を、身ごもっていた。やがて宿へ下がって、ひそかに産屋うぶやこも る身となった
そしてまた、この春には、次の乙若を生んだのである。二十歳はたち で、二人の子の母とはなったが、産むごとに、彼女の美は、開花期の雨を迎えるように、じっとり、 れ沈んだつや めきを、加えていた。
呈子は、すべてを知って、すべてを許していた。── ただ、一時、彼女が非常に困ったのは、義朝は隠れもない悪左府頼長の腹心であり、父為義とともに、当然、美福門院や関白忠通の側にとっては、油断のならない人物と、警戒されていることだった。
美福門院は、呈子が、幼少から育てられてきた義母であり。忠通は、中宮に立つとき、彼女の親元となった第一の縁家である。── で、先帝にwかれて、九条院にわびしく住むようになってからは、前よりもはげしく、八条烏丸の女院の門とは、往き来していた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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