〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
九 重 の 巻

2013/03/03 (日) 白 旗 の 下 (二)

「たとえ朝命を奉じるにせよ。内裏へお味方するならするで、一応は父上の御意見もただし、数ならぬ弟どもでも、われわれにも、何か一言ぐらいは、あってもいいはずだ」
「兄には、骨肉の愛はない。一族結束の考えもない。あるのは、身ひとつの名誉だけだ。ひとりいい子になりたいのだ。── だから、まっ先に、内裏へ せつけ、朝廷の武臣では、第一という顔をしている。父や弟どもも、心があるなら、召しに応じて、後より参れ、といわぬばかりに」
義朝とこの弟どもは、兄弟でも、母が違っていた。それに十年以上も、遠国に別れていた。情においても、自然、どこか冷たい。
義朝は、二十三から、鎌倉に下り、十六年以上も、東国の族党の中で暮していた。その間に、彼の武勇は、地方の乱賊討伐で鍛えられ、末頼もしい御曹司おんぞうし として、為義に従属するより、直接、義朝の麾下きか につく者の方が、年々、多くなっていた。
これも、悪左府頼長が、一時、廟堂びょうどう に威を振るったときには、清盛に代わって、院の武者所は、下野守義朝の手にゆだねられた。義朝は、それ以来、都に住んでいたのである。
父よりも、弟たちよりも、実質的に、左府頼長の引き立てを受けたのは、義朝であった。だのにその義朝は、頼長に見向きもせず、だれより先に、内裏方へ せ参じている。
名分と、進退に、明らかだと言えば言えもしよう。しかしそういう賢さや、また日ごろから、父為義の声望を超えて、武者所の上に臨んでいる兄の態度が ── 弟どもには、なんとも、小癪こしゃく で、たまらなかった。
「父上。── 父上の御所存は、一体、どうあるので、ございましょうか」
「はや、ご猶予は、なりますまい」
「おとといも、きのうも、またきょうも、諸国から せ上った兵馬は、この六条屋敷から、堀川一帯に、こまつな ぎ場もないほど、詰め寄せているのです」
「父上の御出馬を待ちぬいて、気負い抜いている者どもも、ついには、ちまたの風説に惑わされ、おのおの身勝手な行動に走らないとも限りませぬ」
息子たち六人に、こうこもごも迫られると、為義も、ついには、閉じている心の端を、見せずにも居られなくなった。
「まあ待て、そういい騒ぐな。実のところ、おれは、新院のお召しにも、参りとうない。内裏方へも、お断りしようと思う。それが、為義の考え抜いた究極だ。この際、六条源氏のとるべき弓矢の道はそれ一つと思い極めた。おこと らも、その心得でおれ。街々まちまち のあわれな女子どもでも守ってやることだ。── 為義がそう申したと、表の兵たちへもいい渡すがいい。なお、、それでも、合戦がしたいやつは、内裏方へでも新院方へでも、所存次第に、 ねと言え」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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