〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
九 重 の 巻

2013/03/03 (日)  ぞう (四)

その日には。
忠盛は、もう死期を覚って、兄弟たちへ、それぞれ遺物分けをした。
清盛へは、相伝そうでん の、唐皮のよろい と、小烏こがらす の太刀を。
そして、間の弟たちをこえて、当腹とうふく の子 ── 有子の生んだ五男の頼盛へ、抜丸ぬけまる を与えたのであった。
いうまでもなく、有子への、気づかいからである。どこまでも、妻には、気を使う父。
しかし、有子は、貞淑であったし、七人の男の子は、みな枕頭ちんとう に侍し、一門眷族けんぞく も、今出川の邸に詰めて、忠盛の死は、人生の終わりとして、不足のないものであった。
父の死後、だいぶ経ってから、清盛は、ふと、人なき一室で、例の、かたみの古扇をひらいてみた。

── 旅の道のべに、御くるまを止め給ひける折、
白河の君の、宿やど はと、問はせ給ひけるに
  芋の子のつるも いつしか ひ出でぬ
こう書いてあるのは、たしかに、父の筆跡ひっせき である。けれど、下の句は、墨つきも、筆ぐせも、別人の書であった。
  ただもりそだて 家垣いへがき とせよ
清盛は、これを、じじの家貞に見せた。木工助家貞は、古扇を拝して、あきらかに、下の句は、さきの白河院の御宸筆ごしんぴつ せす、と答えた。── ということは、清盛が、忠盛の実の子ではなく、白河の御子だということになる。が、清盛は、うれしくも何ともなかった。この古扇から、なんの愛情も心に響いては来なかった。懐疑は、解けたが、かえって、淡い悔いが残った。やはり、忠盛の子でありたかった。扇は、そのとき以後、手にもせず、何かの筥の底にしまって、そのまま、しまい忘れていた。
十一日の朝。まだ未明のころ。
六波羅を出た清盛以下の一族は、朝の の出とともに、高松殿の里内裏へ、はいった。
参陣の名簿をささげ、お味方をちかい、ただちに、内裏の守護についた。
先着の軍勢には、下野守義朝があり、兵庫頭頼政などがある。
源平混成軍であった。赤い旗、白い旗が、一つの陣営に、仲よく、林立していた。
そして、その日の夕方には、もう、兵火がこの都を焼きたてていたのであった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next