「や、なんだ。あの諸声
は」 清盛は、ふと、左右の者を見まわした。 正殿せいでん
の外側は、板じきの廂ひさし の間である。また、廊の間とも、細殿ともよばれる、部屋部屋に連なっている。そこここに、詰めあっている武者たちは、口から口へ、清盛のそばまで、すぐ伝えて来た。 「御次男の君が、宇治路へさして御発向とみえ、いま、川向こうを、御通過になったのでございました」 清盛は、聞くと、 「・・・・あ。そうか」 言ったきりである。 そして、義弟の非蔵人ひのくろうど
時忠や、実弟の大夫経盛、老臣の筑後左衛門家貞 (以前、木工助もくのすけ
) 、その子家長。また伊勢平氏の盛俊、貞能、盛国などの腹心をまわりにおいて、 「── すると、ざっと、六百騎か」 と、到着の名簿を読んだ時忠に、軍勢の頭数を、訊き
き返した。 「なお、たそがれにも、明朝にも、遅く着く者がありましょうが、現在で、総勢六百八十八騎となります」 「そのうち、主立った武者の名を、もういちど、読んでくれい」 「御一門と、ここにおる者は、略します──。新兵衛尉家李いえすえ
、薩摩右馬允うまのじょう 、八幡やわた
美豆みず 左近将監、同じく太郎、同じく次郎。──
滝口たきぐち の武者には、滝口家綱、家次。兼李、兼道。──また河内かわち
よりは、草刈部くさかべ 十郎、授さずく
源大夫。伊勢古市からは、伊藤武者景綱、伊藤五、伊藤六。── 伊賀の山田小三郎惟之これゆき
、備前の難波三郎経房、備中の瀬尾太郎兼康・・・・」 さっきから、時子の侍女が、何か、ここへ伝えに来ていた。しかし、遠くに、手をつかえたまま、言い出しかねている風であったが。 「あの・・・・御台盤所みだいばんどころ
さまから、急いでという、お取次ぎでございますが」 「なに、奥方おく
からだと、なんだ?」 「ただ今、御次男基盛様の、宇治路への御人数が、すぐ川向こうを通られますゆえ、殿にも、物見の楼まで、急いで、お渡り遊ばすようにと」 「──
時子あれ が、いうのか」 「はい、和子さまの初陣を、見てあげて欲しいと仰っしゃいまして」 「おれには、そんな暇はない。奥方おく
にいえ、基盛は、宇治へ花見に出かけたのではないぞ、と」 「はい。・・・・」 「それよりは、基盛が、首になって戻って来ても、泣き吠ほ
えぬように、心支度が大事だぞと、聞かせておけ」 侍女は自分がしかられたように、妻戸の外へ出ると、袂たもと
を眼にあてて、走って行った。── そのあとを、清盛は、ことばに力を込めて、言っていた。 「知らないのだ、いま時の女童おんなわらべ
は。── 戦いくさ というものが、どんな酷むご
いものかを、身に知っていないのだ。西海や東国には、絶えず戦われているのだが、久しく、この都には、なかったからな。もっとも、おれや、和殿わどの
たちでも、都の中に兵乱を見るのは、生まれて以来、今日をもって初めとする。これは、容易な時勢ではない」 瞬間、みな、黙ってしまった。── 言われるまでは、浮ついていた自分にたれも気づきはしなかった。ただ雰囲気ふんいき
に恃たの んで強がり合っていたに過ぎない。しかし、清盛が言ったとおり、花見ではない。合戦なのだ。白刃はくじん
と乱箭らんせん と炎の下に、名誉や出世だけが拾えるものと夢見ているとしたら度ど
し難いばかである。もう一ぺん、家郷を思い、妻子を胸に描いてみるがいい。生命にも、悔いはないか、自分自身に訊き
いてみろ。── と、人びとは、あらためて、言われたような気がしたのである。 |