〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-T 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (二) ──
九 重 の 巻

2013/03/01 (金) 赤 旗 の 下 (一)

場末の六波羅ろくはら も、近ごろは、場末どころではなくなっている。
清盛が、ここに普請して、時子と新家庭を持った年に、長男重盛h生まれた。その重盛が、もう、十八である。
そのころは、往来もまれで、鳥辺野とりべの へゆく葬式か、清水寺の僧ぐらいしか通らなかったものだが、五条大橋が かって、景観は一変した。道は広くなり、並木を残して、あし や池は埋められてゆき、長い築土と平門ひらもん をもった館や小屋敷も、目立って多くなっていた。
それらの門はみな、清盛を中心に、分家的に派生した平氏の家々でないものはない。
忠盛の死後は、平氏の族長として、またようやく、中央におも きをなしてきた彼の存在とともに、以前の家の子郎党たちも、当然みな成長して、任官するもあり、妻子眷族けんぞく もふえ、いよいよ六波羅の繁昌を加えていた。
さしずめ、ここは、六条の源氏街に対し、平家町をなしてきた形であった。清盛の住居が、中でも、最も宏荘こうそう であったのは、いうまでもない。
当初の旧邸は、今では、長男重盛や、老臣の木工助家貞の住居に当てられ、ずっと五条の河原べりまで囲いを延ばして、騎馬のまま出入り出来る二階門やら新邸が建て増されていた。庭園を抱いて、幾棟いくむね もの、寝殿や対ノ屋に分かれているので、あるじ の居室はどこか、御台盤所みだいばんどころ の屋根はどの辺かさえ、分からないほど、広かった。
ところが、昨日今日は、さしもの広さも、近郷や遠国から、 せつけて来た武者どもで、低の内も外も、ごった返していた。
馬は、到底、置く余地がないので、附近の空き地や、河原の木陰に、急場の馬つなぎをしつらえ、馬卒たちは、馬ともどもに、野営していた。
これらの人数は、さきに、法皇崩御の会葬に、上洛じょうらく したのもあるし、早耳に、中央の変を知って、ともあれ、夜通しでやって来た気負い者も少なくない。そして、清盛から、げき を発した自領の地方兵は、昨日あたりから着き始め、今日もまだ続々、上げ潮のように、門前に到着を告げていた。
この日、こういうおりもおりであった。加茂川のかなたの、京極ノ原を斜めに、勅を奉じて、高松殿から宇治路へさして行く、清盛の次男基盛の手勢約二百の列が、七条口の方へ出て行くのが見えた。
「オオ。 ── 御次男だ」
「基盛様が、立って行かれる」
遠目にも、味方の中の味方、平氏の行軍とは、すぐ分かった。小旗大旗、すべて赤一色を、なびかせて行くからである。
赤旗は、ここ六波羅の亭にも、へんぽんと、立ち並んでいる。手を振り、声をそろえて、ここの軍兵が、堤の上から、歓呼を送ると、かなたの兵列も、さかんに、応えながら、やがて遠くなった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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