新院がお留守の間に、柳ノ水の三条御所へ、たれのさしずもなく入り込んで、たて籠
った武者たちは、たちまち閑寂な園の泉石も、広前の敷き砂も、馬糞ばふん
や草鞋わらじ のあとで、荒らし放題、踏みあらしてしまった。 「・・・・・これは一体、どうした人たちだろう?」 水守小屋の舎人とねり
、阿部麻鳥あさどり は、かなしそうに、柳ノ水のそばに、毎日、立ち暮れていた。 踏み荒らす程度は、まだ忍ぶとしても、しのび難いのは、物珍しげに、土足で内殿の廊を歩いたり、大膳寮の者を脅して、食糧を出させたり、はなはだしきに至っては、女房たちの住む奥まった所で、おりおり悲鳴などがもれることであった。 まだしもそれは、彼として、眼め
をふさいでいても。 麻鳥が、我慢がならないことは、この柳ノ水のそばへ来て、坂東なまりの兵士どもが、がやがや、わいわい、野鳥みたいな裸体をあらわにして、釣瓶つるべ
から水を飲む、顔の汗を洗う。行水をつかう。── 果ては、附近で、立ち小便する輩やから
さえあるのだ。 恐こわ
らしい人たちではある。けれど、ついに、言わずにいられなかった。 「もし・・・・お願いですから、ここの水を使うのだけは、やめてください」 「なに、なんだと」 兵士たちは、彼を、案山子かがし
ほどにも、見ていなかった。 「これは、柳ノ水と申して、都一の名水です。上皇さまの供御くご
の水でもあります。あちらにも、べつに井戸があり、流れもあるでしょう。どうぞ、ご遠慮くださいまし」 「なんだ、てめえは、どういう奉公人かい」 「柳ノ水の、水守でございます」 「水守・・・・水番か」 「はい、水の清浄を守るだけが、わたくしの役目です。わたくしの生命をもって、守らねばなりませんので」 「あはっはっはっ。わははは」 兵士たちは、笑いこけた。非常な滑稽こっけい
に感じたらしい。彼らの郷土、坂東地方の山野には、水はあり余って、時に洪水をなしたり、畑や家を流したり、困り物とすら思っている。いくら、きれいとはいえ、冷たいといえ、その水に、番人を付けておくやつの気が知れない。また、まじまじと、年がら年中、立っている人間の料簡りょうけん
もわからない。 「ふざけるな。いくら都でも、雨が降れば水はたまるだろう。上皇がお使いになるとしても、八大龍王じゃあるまいし、飲むたびに、井戸を空から
っぽにするわけではあるまい」 「畏おそ
れ多いことを仰っしゃる人たちではある。いったい、皆さまは、何でこの御所へ、そのような狼藉ろうぜき
をしに入って来たのですか」 「狼藉だって・・・・ やい、いつおれたちが、狼藉したか。ここを守るために詰めたのは、左大臣家の御命令なのだぞ。左大臣家に聞いて来い」 「あの、頼長公のお指図なのですか」 夜長公よるながこう
か、昼長公ひるながこう か、そんなことまで、知ったことじゃない。そのうちに、合戦となれば、どうせ御所も柳ノ水もあったものか。てめえなども、今のうちに、穀倉でもかきまわして、少しでも、腹をふくらませておいたほうがいいぞ」 到底、まじめに、話し合える、人々ではない。 これ以上、ものを言えば、次には、腕力ときまっている。麻鳥は、彼らの手に手に持っているさまざまな穂先ほさき
の矛ほこ 、長柄ながえ
の刀など、刃ものの光を見てすら、胆きも
が縮んでしまう。なすがままに、見ているしかない。 見ていると、彼らはまた、しばしば、ふしぎな行動をしている。ここの大きな樹木という樹木へ、猿ましら
のように登り、小手をかざしたり、身を隠しなどしながら、のべつ、高松殿に方を、観望している様子なのだ。── そしては、何か発見すると、たちまち二、三騎が、裏門からどこへ何を報告にゆくのか、ムチを打って、駆け出して行く。 「この水の涸か
れる日は、わしの生命も涸れるのだ。この水を守るだけを生きがいとしていたのに。・・・・もし、合戦にでもなったら」 麻鳥は、そこの柳にもたれて、考え込んだ。新院のおん身が気づかわれてならないものの、下賎げせん
の身分では、どうこの真心をささげようすべもない。涙になるばかりであった。── その頬ほお
を、なで労いたわ る如く、その耳へ、何かをささやくもののように、夏柳のみどりの糸が、そよ風につれて、彼の顔へ、寄っては離れ、寄っては離れた。
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