〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/25 (月) くぎ (二)

その夜。
洛外らくがい嵯峨さが の里から西北の山へ向かって、一群四、五十名の武者の影が、足を早めて、よじ登って行くのが見られた。
いずこの武者とも知れなかったが、やがてのこと、愛宕五峰の一端に、人数をまとめて、何やらしめし合わせていた。そして程なく、天台四坊、真言二坊など、そこらの諸堂を見過ごして、真っ直ぐに、愛宕権現の別当、浄明の私邸へ向かい、門をたたいて呼ばわった。
「これは、鳥羽院の武者所むしゃどころ 、安芸守平ノ清盛が手勢なれ。当山、奥の院、太郎坊天狗の御像に、呪符じゅふ を打って、先帝のおん齢を縮めまいらせたりと、訴人に及んだ者がある。すなわち、法皇の御命を奉じ、清盛、虚実をあらた めにこれへ参ったり。すぐ、奥の院へ、案内めされよ。── 惑うて、益なき異議を立て、意勅の大罪をこうむ られな」
一時、屋の内は、騒然と鳴っていたが、やがて、浄明が出て来て、清盛へ言った。
「勅とあれば、宣旨を、捧持ほうじ あろう。ねがわくは、拝を得たい」
「おう、下座に、おわせ」
浄明が、血に座ったのを見て、清盛は、宣旨を示した。
まさ しゅう・・・・」 と、浄明はうなずいて、 「否やはありません。ただちに、おとびら をお開けしよう。いざお越しを」
と、山僧、山侍などに、松明たいまつ を持たせ、自身、先に立って、奥の院へ行った。
昼さえ暗い大杉の密林に、文武天皇の大宝年中、えん小角しょうかく が据えたとなす、太郎坊天狗の一堂がある。
浄明の影が、御扉の前に立つ。かぎ の音が、異様にひびく。
火光が堂の中に満ちた。ゆらゆら赤く不気味にそれは揺れる。清盛は、眼の前に、魁偉かいい な天狗の像を見出した。天狗の両眼には、くぎ が打ち込んであった。
「おおっ・・・・ 釘が?」
それは、彼だけの声ではない。
浄明とともに、どやどやと混み入った、すべての者の、驚きだった。
清盛としては、信西入道から 「たしかめよ」 と、言われた言葉の事実を見ただけである。意外とはしなかったが、いい気持ではない。やはり呪詛じゅそ はきくものかと、おそろしさに、五体がこわ ばった。ゆめ、侮ずるべきではないと、若年から自分の不信を戒めるような気が、にわかに、背筋を這いまわった。
「よしっ、見届けた。かくの通り、お答えするまで」
しこし、あわて気味に、清盛は外へ出た。そして、堂の扉に、封印を命じた。
連れて来た武者の大部分を、そこの守りに残し、彼は、夜通しで、院の御所へ立ち帰った。
すぐ信西に、復命した。── その時、信西は、かつて、この人が、他人に見せたこともないほどな、大きな眼を、くわっと、清盛に見せて、
「うム、そうか。・・・・果たして!」
と、うなずいた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next