〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/24 (日) くま (二)

巫女みこ おろし」 とか 「かみ ろし」 などということが、そのころ、まじめに、信じられていた。
熊野くまの 巫女みこ は、わけて、あらたかであるといわれ、その霊媒術れいばいじゅつ に、おそれを抱いていた程だった。
これは、その年の冬の事になるが、こいう話さえもある。── 冬。鳥羽法皇には、紀州熊野へ御参詣さんけい あって、本宮の証誠殿に夜籠よごも りされた。すると、たれか知らぬが、御簾ぎょれん の下から、白い手を出して、その手を、何度も何度も、手の甲、手のひらと、ひっくり返して見せる者がある。
怪し? ・・・・と、いぶかられたが、簾の蔭には、人もいない。白い手も、かき消えた。
あくる日、木間の一の巫女を招かれ、熊野権現の神降かみさが りを請うた。なかなか降りない。どうしても、のり移らない。
古老の山伏八十人、般若はんにゃ 妙典を読誦どくじゅ して、祈請きせい の声、那智三山に震う ── とある。巫女も、五体を地にまろばせ、肝胆かんたん を吐くばかり、身悶みもだ えていたが、やっと、権現が降りたらしく、法皇に対して、こう告げた ── という。

(君、知リ給ハズヤ、天下ハ今、手ノ裏ヲ返スガ如ク、転変スベシトノ、昨夜ヨベ ノ告ゲナルヲ。聖運スデニ尽キ給ウテ、君ノ崩御モ近カラン。── 定業ヂヤウゴフ 、限リアリ、スベ テ及バズ。タダ後生ゴシヤウ ノタメ、菩提ボダイ ノ御勤メ有ルベキナリ)
この話は、おそらく、作為かも知れない。すでに “ただならぬ世” であった世相が、作りなした流説るせつ ではあろう。けれど当時の諸本や、公卿日記にさえ見えている。
思うに、法皇が、熊野で死期を予言された話は、偽説でも、それを、まこと しやかに受け取った社会であったことには、間違いない。
巫女の行われたことをいうために、話が、横へそれたが、美福門院が、近衛帝の死を、何人なんびと かの、呪詛によるものであるとしたときも、その巫女という職業のあや しい女を招かれて、先帝の “神降かみさが り” を請うたと言われている。
白河帝が、熊野三山から都へしょう ぜられた新熊野の社に、夜須良やすら という熊野巫女かんなぎ がい、何かにつけて、日ごろから、女院に、出入りしていた。
夜須良は、長いこと、祈りをこめ、やがて、髪振り乱して、打ちわなないたかと思うと、女院が、おん眼を澄ます前で。まざまざと、神がかりを現し、先帝近衛の霊になって告げた。
(朕ハ、人ノ為ニノロ ハル。呪フ者ハ、クギ ヲ、愛宕山ノ天狗ノ像ニ打チ込ミタリ。朕、ソノ時ヨリ、眼、明ラカナラズ。・・・・為ニ、?落ソラク (落命) ス。悲シイカナ ) ──と。
言い終わると、夜須良は、ばたっと、一時、気を失って、たおれた。
── が、気も失わず、わっと、おん声のかぎり、泣き伏したまま、生々なまなま しい生き身のもだえを、五衣いつぎぬそで ふかくかず いて、今にも、ひきつけそうに。まゆ うちふさいで、むせ びつづけるのは女院であった。
紀伊ノ局、土佐ノ局、その他の女房たちも、みな驚いて、水よ、薬よ、と騒ぎ出し、重い病人を移すように、大勢に手で、夜の殿へ、そっとかい抱きまいらせた。
── それから、間もない後。
巫女の夜須良は、女院の西の門から、出て来た。
ケロリとした顔つきである。
秋の日が暮れ、街は、夕焼けしていた。
ふろしきづつみのような物を、胸にかかえている。帰りがけに、紀伊ノ局からいただいたお礼物だの、御台盤所みだいばんどころ御馳走ごちそう のお下がりなどと一緒に、お祈りの祭具や、巫女装束が包まれていた。── 彼女は、門を出るとすぐ、楽しそうに、包み物の中をのぞいた。そして、鴨の焼肉みたいな臭いのする物を一つ口の中へ入れた。口をモグモグさせながら歩いて行く。
「シッ・・・・。しっ・・・・。畜生」
彼女は、うしろから いて来る犬に気がついて、小石をほうりつけた。二度目の小石は、道ばたを押して来る手車の輪に当った。車を押していた若い労働者は、彼女と仲のよい近所の男らしく、
「夜須良さん。今、帰るか」 と、いった。
彼女は、はにかみながら、しばらく、むつ まじそうに、立ち話を始めた。そして、男にも、包みの中の食べ物を分けてやった。そのお礼にであろう、彼女は、男の手押し車に乗せられて、新熊野の社の森へ、帰って行った。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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