「巫女
おろし」 とか 「神かみ 降お
ろし」 などということが、そのころ、まじめに、信じられていた。 熊野くまの
巫女みこ は、わけて、あらたかであるといわれ、その霊媒術れいばいじゅつ
に、おそれを抱いていた程だった。 これは、その年の冬の事になるが、こいう話さえもある。── 冬。鳥羽法皇には、紀州熊野へ御参詣さんけい
あって、本宮の証誠殿に夜籠よごも
りされた。すると、たれか知らぬが、御簾ぎょれん
の下から、白い手を出して、その手を、何度も何度も、手の甲、手のひらと、ひっくり返して見せる者がある。 怪し? ・・・・と、いぶかられたが、簾の蔭には、人もいない。白い手も、かき消えた。 あくる日、木間の一の巫女を招かれ、熊野権現の神降かみさが
りを請うた。なかなか降りない。どうしても、のり移らない。 古老の山伏八十人、般若はんにゃ
妙典を読誦どくじゅ して、祈請きせい
の声、那智三山に震う ── とある。巫女も、五体を地にまろばせ、肝胆かんたん
を吐くばかり、身悶みもだ えていたが、やっと、権現が降りたらしく、法皇に対して、こう告げた
── という。 |