〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/24 (日) 幼 帝 御 一 世 (二)

ところが、この正月、はからずも、その幼稚な御感情が、一事件をかもした。
元旦がんたん の、朝覲ちようきん御式ぎよしき に、なぜか、天皇の臨幸がなかった。
「朝覲」 とは、天子が、上皇、皇太后のおん許しを、親しく、おたず ねになることである。
その日、天皇は、頭蔵人とうのくろうど をして、法皇の許へ、こう伝えられた。
ちん は、頼長を見ることを、欲しません。そのため、元朝がんちよう の式には、臨みませんでした。明日は、朝覲します。けれど、もしまた、頼長が参候するなら、明朝の朝覲も廃したいと思います」
いかにも、童帝らしい、率直なお言葉である。
が、法皇は、怒られた。
「これは、関白忠通の、使嗾しそう にちがいない」
ただちに、書を、宇治の忠実へ、遣わされて、
「大事あり、来れ」
と、召された。
やがて、忠実は伺候したが、法皇のお怒りは、いつになくはげ しかった。
「ことしは、元日から異例があった。 むべき、不吉を見た。実に、楽しくない」
「どう遊ばしましたか」
「主上が、朝覲あらせられぬ。── 忠通は、天皇に、不孝を教えておる」
と、語られて、
「今にして、ちん は、悔いる。いっそ、去年、忠通の摂政返上のとき、なぜ、内覧 (太政官文書を、天皇の御覧の前に、内見する役) をも停止しなかったかを。・・・・老公」
「はい・・・・」 忠実は、ゆえなく、ふるえた。
「今日以後、左大臣 (頼長) に内覧を付し、およそ、宮中の雑事は、すべて、これをまず左大臣に問わせ、奉行すべき者は、右大臣の雅定まささだ とし、宣旨 (天皇の口勅を伝える簡便な法) を称えて、執り行え」
と、言い渡された。
しかし、この専断には、さすが御自身でも、後日の紛糾ふんきゅう に、万一の御懸念があったものか、大納言公教きみのり を、召しよばれて、特に、こうお断りになった。
「左大臣内覧のことは、決して、宇治の入道の請いによって、決めたのではない。朕の心から出たものである。── 関白忠通、天皇に教うるに、不孝をみってす。朕が、彼を憎む理由である。──宣旨。右のとおりと、太政大臣へ、ただちに告げい」
公教は、命を拝して退 がった。
太政大臣実行は、老朽の人で、式日平日ともに、参内はない。いわば空席なのである。実権は、左大臣の にあった。
だから、左大臣頼長は、自分の局から、自分宛の内覧任命の宣旨を、発したわけだ。
── 右の手で書いた辞令を、左の手で受け取ったようなものである。法皇には、春早々の不吉と、逆鱗げきりん をたてられたが、頼長にとれば、これは、思いがけない、初春の吉瑞きちずい の鳥が、冠の上にとまって、 いたようなものであった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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