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── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/23 (土) 幼 帝 御 一 世 (一)

松杉シヨウサン 、山ハ暗ク、陰雲低シ
鳥雀テウジヤク 、林ニカシマ シ、落日ノ前
官禄ハ身ニ余リ、世ヲ照ストいへど
モト 、閑ヲ性ニ ケテ、権ヲ争ハズ
失意の人、関白忠道が、桂川の門を閉じて、思いを詩作に っていたそのころの、彼の一詩と、伝えられている。
仁平元年、近衛天皇は、おん年十三になられた。
どう遊ばしたのか、幼帝は、去年ごろから、お眼が悪く、いつも、うっとうしそうに、紅絹もみ を、まぶた にあてておいでになる。
忠通は、そう の帰化人で、眼科の上手じょうず いわれる医者を見出したので、その眼医者を伺わせ、自分も、おりおり、おなぐさめに参内していた。
幼帝のお姿を仰ぐたびに、彼は、宮中ふかく、 の目にも、めったにお当りにならない ── 万乗の君 ── 至尊の御位 ── というものが、何とも、いたいたしく、お気の毒な宿命に思われてならなかった。
皇后に、絶世の佳麗、多子を得たまい、宮中に、呈子しめこはべ りまいらせても、何しろ、十三の少年でおわすことには、百花のけん も、何かせん ── である。
事実、天皇御自身にしても、童心の本然な欲求からいえば、冬の日は雪と戯れ、春なれば花に口笛を吹き、夏は、太陽の子、水の子となって河童かっぱ をまね、秋は高き山にも登って、声いっぱい、生命を呼吸させてみたいうず きをお持ちになっているにちがいない。
忠通にも、それは拝察できる。──けれど、天皇を犠牲として、かくもむなしいかたち だけのものに作り上げて来た者はたれであるか。そして、自分もまた、この可憐かれん にして尊貴な偶像をめぐって、自己の栄花と権勢欲に、きのうまで、骨肉たちと争っていた浅ましい下手人げしゅにん の一人であることを、彼が自覚したかどうかは、疑問である。
ただ、人間の平凡な情として、ときには、
(ああ、天子たるも、また、お気の毒な・・・・)
と、失意の身にひかれて、ふと、あわれを覚えた程度かもわからない。
しかし、幼帝は、忠通をお慕いになられ、何かにつけ、よく忠通を召された。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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