問題は、ここで、法皇が、万機を決する最高の御位置と、社会万民に及ぼす重大な御責任とを、よく弁
えられて、 (否!) と、一言仰っしゃれればよかったのだ。ことは、寸時の御勇気ですんだのである。後の一波万波をよび、狂瀾きょうらん
の世を招かずにすんだに違いない。 ところが、法皇は、愚かにも (── 後の史家はみな、敢て、愚かにという文字をここで使っている。筆、ここに至ると、院政の弊、上御一人政治の危うさ、これをなすかと、皇室を哀惜する余り、腹が立ってしまうのであろう)
── このとき忠実へ、 「うん・・・・」 と、承諾しておしまいになった。 そこで、数日の後、忠通をお召しになり、あらためて、法皇から、お諭さと
しがあった。 それが、どういうお言葉であれ、忠通には、すべて分かっている。彼は、泣いて、法皇に、お答えした。 「臣は、不幸な人間です。家弟頼長の人となりは、陛下もよく御存じでありましょう。しかし、臣はまだ人にそれをいったことはありません。──
が今、この叡問えいもん を蒙こうむ
るのは、実に、辛いことです。頼長はなまじに才学あり、驕慢きょうまん
、人を侮る。── ために、臣は微才ですが、藤氏の宗そう
をうけて来ました。頼長は、不平です。老父の愛を恃たの
んで、臣の威権を奪わんものと、日夜、画策をめぐらしていることは、さきの立后問題で、陛下もよく御知悉ごちしつ
ではございませぬか。── もし、頼長が、野望を達したら、必ず、国家を危うくします。国乱、火を見るより明らかです。ゆねに、臣は、老父の請いも、今日まで、聞き流していました。たとえば、官封を没せられても、臣は、辞しますまい。断じて、幼主の政まつり
を扶たす け、朝廟ちょうびょう
の臣たる本分のためには、死をも覚悟します。不幸の子と言われても厭いと
いませんと。── けれど、今日また、陛下の御諚に迫られては、もう臣の運命も極きわ
まれりと申すしかありません」 綿々と、情理を述べ、官衣の袖そで
を、涙にぬらして、忠通は訴えた。 法皇は、忠通の嘆きが、あまりに深いので、ついそれ以上、何も仰っしゃれなくなってしまった。── で、むなしく、ありのままを、翌日、忠実へ通じておかれた。
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