「この日照りは、まだ続くぞ。なぜならば・・・・だ」 と、下官たちは、悪左府の眼が届かない所では、ムダ口を交わしていた。 「大きな声では言えぬが、頼長公には、ここ、すこぶる御満悦
であろうが。つまり人間の大得意時代へ来ておる。・・・・例の立后の争いでも」 「さよう。今上 (近衛帝) の皇后は、公のおん女むすめ
。公は、左大臣にして、また天皇の外舅 (しゅうと) でもおわすわけだ。さっそく、国事にいそしみ、輔弼ほひつ
の実を示さんという、覇気はき
満々まんまん とは、うかがわれる 「ところが、幼帝の輔弼には、あきらかに、摂政というお方がある」 「さ。・・・・そこでまた、御兄弟仲が、まずいらしい」 「一座の君
(忠通) の、おひき籠こも
りは、そのためだろうか」 「いうまでもあるまい。立后の問題では、子煩悩ぼんのう
な宇治殿の横車から、弟の頼長公に越えられてしまったが・・・・。しかし忠通公は摂政関白、なお職制では、頼長公の上にあるので、とかく御不和の種になりやすい」 「兄は、摂政関白、弟は左大臣。人間として、これ以上、何の不平があるのだろう?」 「それは、凡下の考える事で、欲望には、きりがない。一つを達すれば、また上の欲。そして相互の猜疑さいぎ
も手伝う。仲よく繁栄を二分して、ともに楽しもうとはしなしないものさ」 「わからぬ心理よの」 「あのお方たちのように、思い上がってみなければ分からない。われらには、思い上がる理由がないゆえ、ただ、不思議な人間の欲望とは、考えられるが・・・・。お年も七十をこえている忠実公ですら、こと、盲愛や名利にかかわると、凡夫に輪をかけた凡夫の性さが
をお見せになる」 「ははあ。ではまた、宇治殿が、何か、動き出されておるのかな?」 「知らないのか。・・・・摂政をめぐる、取り合い沙汰ざた
を」 人の口は、うるさい。そして、無責任でさえある。しかし、火のないところに煙は立たないのも真実である。 近ごろ、しきりに、人びとが言うところでは。──
宇治の老公忠実は、摂政の地位を、忠通公から取り上げて、弟の頼長公へ、譲らせようとしていらっしゃる。どうもそんないきさつから、父子のおん仲も、兄弟仲も、以前にも増して、面白くないらしい。 また、うわさの根拠として、人びとのあげるところは。 第一に、摂政忠通が、立后問題の失意につづいて、聖廟せいびょう
に姿を見せないこと。 第二に、宇治の忠実が、隠居の身にもかかわらず、以後、いよいよ足しげく、仙洞に出入りしていること。 第三に、法皇にも、だいぶ御意向きが変わって、近来は、頼長、忠実の両人への信寵しんちょう
が、篤あつ くなって来たこと。 第四には
── そろそろ諸官の職位に、移動が起こり、頼長中心の勢力拡充が見られる。なかんじく、源氏武者が、しきりに登用され、武者所の平氏系は、除外されていること。等、等、等。 こういう政情にあるこの七月には、南都興福寺の大衆が、また、例の強訴をとなえ、春日かすが
神木しんぼく を押し立てて、入洛じゅらく
するなどのことがあった。 数千の大衆は、勧学院に屯たむろ
し、夜も昼も、気勢をあげていた。 これへの対応には、さきに、平ノ清盛は、行き過ぎがあったという理由で、六条為義の一族 ── つまり源氏系の武者が、当たった。 そして、左大臣頼長が、連日、指図にあたり、忠実も、宇治から出て来て、慰撫いぶ
につとめた。 父子、協力である。そのために、紛争もことなく片づき、興福寺大衆は、奈良へ引き揚げた。 「・・・・よくぞ」 と、法皇には、かくべつ、両人をねぎらわれた。 越えて、八月初め。 右大臣三条実行さねゆき
を、新たに、太政大臣とし、内大臣久我こが
雅定まささだ を右大臣に、徳大寺実能さねよし
を内大臣に。── それぞれへ叙任があった。 実行は、老朽で、朝ちょう
に出仕できる体ではない。しかしいまのところ、太政大臣はそれで、いいものらしい。 「時運は、頼長公に、幸いして来た。朝権一切は、頼長公の手に帰そう」 保身や猟官に敏感な公卿たちは、はやくも、彼に、媚こび
をよせ、東三条亭の門前には、にわかに、客の車駕しゃが
が殖ふ えてきた。 |