〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/21 (木) あられ しよ (四)

ちょうど、法皇の御車が、門を、きしみ入ったばかりのところであった。
法皇は、使いがもたらした忠通の奉答にうなずいて、すぐ、御車の内で仰っしゃった。
「ゆるす。もう、許してやれと、摂政につたえい。せんかたもない」
それは実に ── あっさりとも、もろ いともいえる ── 子どもが執着していた物をふと手から離すにも似たような、お声だった。
三度みたび 、朝隆は、馬をとばした。
お言葉は、第一に、摂政忠正の門へ報ぜられ、また、左府頼長の館をも、沸き立たせた。
この夜、頼長は、東三条亭にあったが、もちろん、寝てはいない。
ほかにも、眠らないでいた門がある。多子の生家、徳大寺公能の館である。
狂喜した悪左府頼長は、自身、騎馬で吉報をここへ告げに来た。そして、公能を誘い、二人揃って、仙洞御所へいそいだ。
── 忠実は、まだ、すわっていた。
もう朝隆から、よろこびは、受けていたろうに、ぼう として、腰が抜けたように、宵からの所にいた。
けれども、そこへ け入るように、入って来た頼長と公能の姿を見るなり、ああ ── と朽ち木のようにたお れかけた。次には、相擁して、うれし泣きに何か口走りあう三人の体が一つになった。夜明けの光が、どこからともなく しこみ、果てしないその歓喜と煩悩ぼんのう のかたまりへ、白々しらじら と、冬の朝が下りていた。
正月。 ── 藤原多子を、女御代から女御とされた。
まもなく春、三月十四日。
多子に、立后の華冠は授けられ、窈窕ようちょう というには、まだ余りにあどけない、可憐かれんつぼみ の皇后は、明けて、おん年十二の近衛帝と、ひな のごとく、大典の式殿に並ばれて、群臣の万歳を、夢見るようなお顔でうけられた。
四月には、一方の藤原呈子しめこ も、女御となった。そして、六月、ふたたび、
── 呈子ヲ中宮ト為ス
という宣下をみた。
忠実の子煩悩ぼんのう はとどいた。頼長の意地は勝った。ひとりの忠通をのぞいて、父子の得意は、頂上といっていい。問題はもうないはずだった。
ところが、血みどろな、同族のせめぎ合いや、また、骨肉の戦いは、かえって、これを端緒とした。そして、保元の乱の口火を持ちながら、ましぐらに、自己崩壊と、世伝せでん との、車の両輪を、はや めたのであった。
※ 世伝
代々伝わっていくこと。また、伝えていくこと。世伝御料など。 「せいでん」 とも。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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