「夜のうちに、謁を賜りたい。まげて、御出座を願うと、執奏されい」 忠実は、氷室
にも似る一殿の寒床に座り込んで、頭蔵人とうのくろうど
や、宿直とのい の侍者が、何を言って来ても、頑がん
として、かえりみない。 次の御座の間には、燭しよく
もなく、簾は、暗く垂れ、夜は更けるばかりである。 死を決した人のような凄気せいき
を彼の影に見て、夜殿の詰人つめびと
たちは、触れるのもおそれた。 いつまでも、法皇の出御はなかった。いかにお惑まど
いかが分かる。すでに御寝ぎよし
にも入らるべき時刻なのだ。とはいえ、彼が、寒夜に床に座している姿を思われては、おん夢も安らかに結ばれようはずはない。美福門院なる無二のお方があられるにしても、その女院よりはお古い皇后高陽院の実父であり、いわば法皇には外舅がいきゅう
にあたる忠実である。お弱りになったのは申すまでもない。 ついに、お会いになった。── かねて美福門院から、くれぐれもと、ささやかれておいでになった、ある御注意をやぶって出御された。 「おお・・・・」
と、お姿を仰ぐとともに、忠実は、泣いて、不覚にも、幾度となく、水洟みずばな
をすすった。 訴うるところは、同じである。・・・・が、その夜の忠実には、決意があった。朝廷の一大臣を棄て給うか。この一老夫に死せよと宣の
らせ給うか。というひざ詰めの談判であった。たとい、多子立后のことは、先例に欠けるところがあるとしても、枉ま
げて ── と強引に迫って、やまないのである。 法皇は、かれより先に、お疲れを現した。根負けもし、情にも負け、ほとんど、自己の支えを、お失いになったらしい。 「忠通に、委せてある。今から、忠通へ使いを遣わし、まいちど、忠通の意見を問おう」 と、藤原朝隆ともたか
を召されて、下問の手紙をさずけられた。そして御自身は、その返書の至るを待たずに、にわかに、夜殿の上達部かんだちべ
たちに、車駕しゃが を命ぜられ、夜をおかして、竹田の離宮へ、御幸されてしまった。つまり逃げてしまわれたのである。 一方。 使者の朝隆は、馬をとばして、摂政家の門をたたき、何事が起きたかと、驚き顔の忠通に会って、委細を話した。 「法皇の御胸に伺ってください。今は、御心ひとつです」 ことここに至っては、忠通はもう、法皇から押しつけられているものを、法皇の方へお戻しするしか、道はなかった。 「先例にこだわるなく、法皇がお許しあれば、それまでのことです。なんぞ、忠盛がそれを妨げましょう。即日にも、宣下を議します」 朝隆は、彼の答えを持って、すぐ仙洞御所へ引っ返した。──
が、鳥羽法皇は、すでに、そこにはお在さない。 で、ふたたび、馬にムチを打って、霰に更ふ
けてゆく白い道を、安楽寿院の離宮へ急いだ。 |