冬、十二月に入って、彼は、かさねて、寒夜に、硯
を洗い、心血を注ぐ思いを込めて、法皇、ならびに美福門院へ上のぼ
す書を書いた。 その文章は、さすがに、切々と、読む人の肺腑はいふ
をえぐるような辞句につづられていた。もし、この奏事が成らなければ、左府頼長は、遁世とんせい
を誓っています。齢、七旬をこえて、一愛児を失わんとしているこの老父の白髪は急にふえています。この上、宣下絶望となれば、おそらく、一夜の生にも耐えますまい。──
纏綿てんめん として、血涙そのもののような文字である。 しかも、法皇、美福門院からの沙汰は、依然として、 (摂政忠通、先例ヲ勘カンガ
フルモ、之コレ ヲ得ズ、朕チン
モ亦マタ 、裁ク所ヲ知ラズ) であった。 ──
年は、終わろうとする。 十二月の冬日は早い。 もしこのまま、正月に入ったら、万事休すである。宮中、一院、新院の参賀式日に、公卿社会は衣冠を解く間もない初春の行事に追われてしまう。忠実は、ふたたび、悲壮極まる心を抱いて、もう年暮くれ
も押しつまった十二月の末、家司けいし
、家人けにん 、雑色ぞうしき
、雑牛飼童うしかいわらべ までを、おびただしく召し連れ、そのまま鳥羽院へ、まっすぐに、牛車をやった。 牛の足である。吐く息も、まっ白な、朝早く宇治を立ったが、三条東の院の御所にたどり着いたのは、もう夕方であった。 おりふし、仙洞せんとう
の大庭は、凍い て返った地に、ばらばらと、霰あられ
が降って来て、北面の篝かがり
のほかは、灯影もない大殿廂おおとのひさし
を、しぶきのように、たばしる白い細粒の音に煙り発った。それはまた、忠実の心を、氷刃のように砥と
ぎすました。 しかし、車から降りた彼の影は、終日の疲れに、さすがに、蹌踉そうろう
として見えた。 にわかに、召次所めしつぎどころ
や遠侍とおざむらい たちの声々が駈ける。蔀しとみ
を揚げ、妻戸つまど をひらく。その寒々しい金具のきしみや、灯迎えなどの人影のうちに、彼の姿は、仙洞の廊を渡って、さらに奥深い所へ消えこんで行った。
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