〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/21 (木) あられ しよ (一)

月をこえ、日をかさねても、問題は、一歩の変化も示して来ない。
頼長の焦躁しょうそう は、彼を盲愛する老父の に、つら く映る。忠実は、その長い貴族生活の体験から案じて、
「事態は、何やら、おもしりくなく、切迫している。ここで、怠ってはならぬ」
と、頼長をはげ まし、自身も、ついに思い切った行動に出た。
美福門院びふくもんいん へあてて、忠実から、直々じきじき 、書簡を献じたのである。
女院は、あくまでも、法皇のうしろにあった、この問題には、感知しないようなお立場のあった。それが忠実の直接交渉により、ここに、何らかの、意思表示を示さなければならないような羽目になった。
数日の後、答書が、降った。
法皇、および、美福門院の答書、同時に ── であった。
しかも、内容まで、同じなのである。文は、簡にして明。
(是非は、摂政ノ任タリ、一ニ摂政ノ処分ニ委ス)
これはほとんど同日ごろに、忠通の方へは、少納言ノ局から、極秘の文書で、法皇の 諭告ゆこく があった。
(忠実父子ノ請ヒに依ル、多子立后ノ事ハ、宜シク、先例ヲ、ツマビラカ ニシ、慎重ニ勘考ヲ要ス。カリソメニモ、カルガルシク、宣下アルコトナカラン)
忠実が、美福門院へなした最後の一策は、こうして、まったく逆効果を招いてしまった。
「・・・・疲れた!」
敗北を感じた下から、忠実は、さすがに、七十三歳のみだれた吐息をついた。
「いちど、宇治へもどって、とく、思案をかえよう」
かれは、なお、頼長に 「あきらめよ」 とは言わなかった。しょうぜん 然、牛車のおい の内に、病人のような老躯ろうく を横たえ、宇治へと、揺られて帰った。
すると、それから余り非も経たないうちにである。
呈子しめこ は、正式に、摂政忠通の養女に移され、なお即日、呈子を従三位に叙せられたという沙汰さた が聞こえた。
悪左府頼長は、すぐ宇治へ来て、憤然と、そのことを、くり返した。
「甘すぎます。父君は、余りに兄へ甘すぎる。これをもっても、兄のはら は分かるではありませんか。兄は口先では、夜も眠れぬとか、板ばさみの苦衷を察してくれなどと、しおらしげに申しておるが、何ぞ計らん、呈子を擁して、多子の立后を、蹴落けおと そうとしている者です。わたくしたちの、競争者です。たばか られていた上に、またも騙られたのだ。・・・・なんたる肚ぐろさか」
「わしにも、決意がある。よろしい・・・・。断固と闘おう。じゃが、頼長よ」
ぽろぽろと、忠実は、急に、涙を垂れ、子の手を握って、なぐさめた。
「宇治へ帰ってから、わしはおこと のために、加茂、石清水、春日の神々に、昼夜、祈念しておるが、近ごろ、たびたび吉夢を見るぞよ。所願は、かならず貫ける。さいごは勝つ。余りには、悲しまぬがよい」
事実、忠実はそれからも、終日ひねもす持仏堂じぶつどうこも ったきりであった。さらに家人けにん を分けて、祖先のびょう を始め、加茂、春日、稲荷、梅宮、大原野、吉田、熊野、石山寺、六角堂、青蓮寺、醍醐寺などの社寺に、祈祷師きとうし を立て、貨財を供進ぐしん して、多子の立后を祈った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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