「このことが、成就
せねば、宇治へは、帰るまいぞ」 忠実は、悲壮な決意を、左右にもらした。 とても、すぐには、解決を見がたいことが、上京即日に、分かったからである。 以来、東三条の亭に泊り、十数日も、滞京いていた。そして、しげしげ鳥羽院へ参稿候し、幾たびか、法皇にも謁えつ
し、上書もつづけた。主意はただ、 (── 願ハクハ、直チニ、立后ノ宣旨ヲ、多子ニ降シ給ヘ) という奏請に尽きている。 法皇は、ほとんど、困惑され、時には、忠実の不意の参候に、周章うろた
える御様子さえ仰がれた。 ために、御不予をとなえて、賜謁を避けられたり、答書は、後刻、少納言ノ局へ、託すであろうと、一時のがれを仰っしゃったり、いたずらに、日ばかり過ぎて、とかく忠実には、業ごう
が煮えるばかりだった。 そんなところへ、ある日、夕顔の三位が、東三条へ、ひょっこり、ご機嫌伺いにと、彼を訪ねてきた。 「見えたか、経宗」 と、忠実は、ちょうど、やり場のないもので、腹いっぱいのところだったので、頭から、言ったものである。 「都は、狸たぬき
、むじなの、集まりか。近ごろ、怪態けたい
なワナに、頼長を陥れたことよ。お汝こと
なども、一つ穴の、むじなであろうが」 「滅相めっそう
もない」 と、経宗は、以後の不さたと、今度の事件を知ってからの、自分の苦衷くちゅう
を、るると述べた。 「──すぐ伺おうと思いましたが、いあたずらに、詰めよせても、お館を物々しげに、見せるのみで、世間目によろしくありません。ただ、密ひそ
かに、かような異変の起こりが、どこの何人の策略に出じるものかと、知りたいと思い、それが突き止められたら、おわびに参じて、いささか、御憂慮の万分の一でも、お慰めしたいと心掛けていたわけです」 「ふうむ。いつもながら、賢かしこ
げにいうの。では、お汝こと は、その策謀が、たれから出たと知ったのか」 「このたびのことたるや、もとより、法皇の御本意でもなく、なおさら、法性寺殿
(忠通) のお望みでもございません。・・・・申さば、美福門院、お一方の、おせまい女ごころからと、思われます」 「・・・・が、のう経宗」
と、忠実は、一応の納得は見せながら、なお不満そうに 「── 忠通に、何の邪心もないとは、どうして言えるの。かれに、やましい点がないならば、なぜ、目と鼻の先に来ておる老父に、一ぺんの労いたわ
りにも、顔を見せぬであろう? わしは、疑う。── かれも我が子。決して憎むではないが、腑ふ
に落ちぬことではあるぞよ」 「いえ、いえ。近ごろの、御心痛は、見る目も、お腑いた
ましいほどで、あわれ、法性寺殿には、いまに病み伏し給わねばよいがと、蔭ながら、お胸の悩みを知るほどの人びとは、みな、お気の毒に存じあげている程です」 「それよ。人には、さも殊勝しゅしょう
げな態てい をなして、よく同情されるのが、あれの昔からの性さが
というもの。頼長とはうらはらなのじゃ。──思うてもみい。忠通の夫人おく
は、呈子しめこ の叔母ではないか。かつは、美福門院とも、日ごろから親しゅうしておるに違いない。多子が、行く末、主上のお后たるべき御内約のもとに、女御代に入ったことなど、ほかに、たれの口から、女院のお耳へなど入ろうか」 経宗は、口をつぐんだ。なるほど、疑えば切りもなく疑えるものと思う。猜疑さいぎ
による誤解とは分かっていても、忠通の弁護にまわることは、いよいよ忠実を怒らせるに過ぎない。そして自分までもが猜疑の対象になるおそれがある。如し
かず、この上は、忠通の心をなだめて、なんとか、忠通の車をいちどこの東三条亭へ向けさせるにかぎる。そして、老父、兄弟が、親しく会うて、話しあうことだ。自分に出来て、怪我けが
のないことは、その仲介役だけだと考えた。 |