〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/19 (火) りつ こう (二)

呈子は、権中納言伊通これみちむすめ ではあるが、はやくから、美福門院の手に養われて来た。
女院からは、わが子のように、いつくしまれ、、事実上では、女院の養女とかわりはない。
さきに、頼長の養女の多子が、女御代に げられたことでは、美福門院から、べつに御苦情も出なかったのに。
── が、問題は、その後である。
多子には、将来、立后の内約があり、その条件の下に、しばらく女御代におかれたという事実が、やがて、美福門院の知るところとなって、法皇は、その軽率を、いたく女院から責められた。
「わたくしは、母ではございませぬか」 と、女院のお立場は、あきらかに強い。
「── なぜわたくしに、たとえお一言ひとこと でも、御相談あそばしてくださらなかったのでしょうか。ほかならぬ、主上の御生涯にわたるおきさき のことですから、よそ眼に見過ごしておくわけにもまいりませぬ」
女院と法皇の間には、会われるたびに、おんもつ れがうかがわれ、結局、法皇としては、心にもない豹変ひょうへん であったが、主上の母なるお人の主張に添うしかなくなったわけである。
要するに、美福門院としては、すでに、とくからお胸のうちで、
呈子しめこ をこそ、主上の后に)
と、ひとり決めていたに違いない。
ただ、主上はまだ、余りに幼く、そして、呈子はすでに、十九という妙齢であったがため、時を待っておられたのである。
待てない時が、ついに来た。思わぬ強敵が ── しかも悪左府頼長と、宇治の相国しょうこく (忠実のこと) などを背景とし、法皇の内約まで取って、立ち現れるに及んでは。
彼女としては、躍起にならずにはいられない。そして強硬に、法皇をうごかし奉ったものの、美福門院側から言えば、決して、横車ではなく、法皇の軽忽けいこつ なるおん過ちを、早く、正しきに戻したのみ、ということであろう。
しかし。── これは、思うこと、意のままにならぬはない、としている人の考え方であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next