同じ年の、秋の末ごろ。 忠通は、前年落成した、法性寺
へ、参詣さんけい していた。 むかし、藤原道真が、法成寺を造立し、世に、法成寺関白と謳うた
われたそれにならって、彼も、藤原氏の永世祈祷きとう
のため、雄大な私寺を建立こんりゅう
し、 「法性寺」 とまづけ、かたわらの別荘ににもいたので、近ごろ、忠通を呼ぶのに、 “法性寺殿” という人が多い。 そこへ、にわかに、鳥羽院からの、お使いがあった。 法皇のお言葉として、夜に入るも苦しからず、早々、昇殿あるべし
── とあった。 「何事のお召しにや?」 と、忠通は、法性寺の別荘に泊る予定を変えて、扈従こじゅう
、随身ずいしん の列に、松明たいまつ
をとぼさせ、急遽きゅうきょ 、くるまを鳥羽院へ急がせた。 夜は、初更しょこう
を過ぎていたが、法皇には、すぐお座所にわたられ、人を遠ざけて、近々ちかぢか
と、、忠通に会われた。 「呈子しめこ
を、ぜひ、入内させなければならぬが、公こう
のはからいで、いように、思慮をめぐらすてくれまいか」 つねになく、おん声音こわね
が弱い、内心の御当惑が、うかがわれる。 仰っしゃる下命そのことの、万、ムリなことを、御承知なのだ。 忠通の、眼にも、ありあり、当惑がうかんだ。──
が、どうして、こんな唐突とうとつ
な、しかも、御自身で御自身の前言を破るような仰せ出をなさるのか ── 忠通には、わかっていた。法皇のお姿と、美福門院びふくもんいん
の影とが重なって、彼にはみえる。 「前さき
の、多子の君を、女御代のままおいて、権中納言伊通これみち
の息女の呈子を、新たに、入内させよという、御意でございますか」 こう、念を押すにも、忠通は、口が渇いて、きれぎれな糸でも吐くような声になった。 「・・・・む、む」 と、ちと、お苦しげに、うなずきを見せられたが
── しかし、そこは絶対なる位置におわすお方だけに、ムリとは思われても、不可能とはお考えになる理性を持たない。むしろ、忠通の、温厚ぶりから来る沈み方を叱咤しった
遊ばすように、仰っしゃった。 「何とか、なろうが、いや、取り急いで、運んで欲しい、公の才覚で」 忠通としては、ただこれ命と、伏してお受けするほかはない。 「・・・・ならば。こう、いたしてもよいかな」 法皇も、策士であられる。すでに、叡慮えいりょ
のうちでは、さまざま思いをめぐらしておられたらしい。 「たしか、公の夫人は、呈子にとっては、叔母君に当たるそうではないか」 ── これも、美福門院から聞かれたに違いない。忠通は、そう思いながら、御諚ごじょう
のとおりです、と答えた。 「よい都合つごう
ではあるまいか。入内にさきだって、呈子を、公の子としておくがよい。 ──摂政関白の女として入内するなれば、ふしぎはない」 忠通は、深更しんこう
に、院を退った。たくさんな松明の火の列に囲まれ、無月のやみ夜をゆく、摂政車のうちに、彼は、冠も重たげに、物思いの?あぎと
を、ふかく埋めていた。 呈子しめこ
。── その呈子を、ひどく愛しておられる美福門院。 主上近衛の御母后ではあり、かつは、法皇の殊寵しゅちょう
と、群臣のおそれを、一身に集め受けている女院の御存在を、彼は、この夜ほど、大きく、まばゆく、またそらおそろしく、覚えたことはなかった。 |