「ふウン・・・・。多子をな。・・・・女御代にとか」 案のじょう、頼長は、鼻を鳴らしただけである。興もなげな、返辞に聞こえる。 にやにや笑って、いやとも、よかろう、とも答えない。 これは、まずいかな?
── と経宗は、話をかえかけた。 しかし、かえた話題にも乗って来ない。経宗の顔つきを読みとるように黙りつづける。やはり主題の話に、彼も、心では、ねばっているに違いなかった。 「そうだのう?
・・・・急か。急を要するのか。・・・・法性寺殿
(忠通をさす) への御返答は」 「とも、仰せられませぬが、法皇にも、お心待ちでおわせられましょうし」 「──
考えておこうよ」 抛ほう
りだすように言ってから、 「なぜまた、かかる大事を、法性寺殿自身、頼長へ会うて、直接、話し合おうとは、せぬのじゃろうか。わしには、分からんよ、あの兄の腹蔵は」 「いえ、御肉親としては、一座の君
(摂政関白のこと、忠通へも敬称) にも、御同様な思いではおられましょうが、何しろ、お忙しいのと、また、摂政として、公おおやけ
がましく、御談合あるよりは、まずわたくしのような者をして、こちらの御存意を、忌憚きたん
なく、伺わせておいてからという、含みのあるお考えかと拝されますが」 「含みか、何か知らぬが、じたい、わしは、兄のような、ネチネチは嫌いなのだ。腹を割って、こうと申されれば、応と、即座にも答えるだろう。なまじ、お汝こと
など差し向けて、肚はら さぐりなどは、おもしろうない」 「さ、そこです。竹を割ったような御気分で、すがすがと、仰せられませ、わたくしはただ、花の使い、お胸のとおりを、一座の君へ、お伝えいたしますれば」 「うム。言ってもよい。申そうか」
頼長は、幅の広い胸を、押し出すように反そ
り身み になって ── 「直々じきじき
ならでは、いうべき儀でもないが、宇治の父君も、目をかけておるお汝こと
なれば、伝えさせてやる」 「ありがたく承ります」 「わしの申すままを、法性寺殿ヘ、申し伝えろよ。寸言も、ゆがめてはならぬぞ」 「仰せまでもございません。──
して、御内意は、いや、何ぞ条件でも」 「さればよ。── 多子ただこ
を、女御代に参らすは、承知せぬでもない。しかし、天皇御成人の後は、かななず、多子をして、入内立后じゅだいりつこう
させるという確約をして欲しい」 「ごもっともの儀と存じます。さっそくにも」 「よいかの、ただの女御代にとどまるなれば、おことわりする。行く末、多子を、皇后にと、かたく約さるるなれば、応じよう。──
こう言うのだ。明白に」 頼長は、二度まで、念を押した。 その後で、経宗は、大いに、もてなされた。頼長も、長酔して、大機嫌きげん
になり。宴のあいだに、奥へ行って、このことを、夫人の幸子さちこ
にも、さっそくささやいたらしい。おおうべくもない一門の喜色が、やがて、管絃かんげん
の音になって、東三条の亭にあふれた。 ── しかし、経宗が、ひそかにでも、垣間かいま
見たいと希ねが っていた多子は、姿はおろか、琵琶の遠音とおね
にも、うかがえなかった。 しかし、彼の使いは、功を奏した。 忠通は、頼長の要求に、驚きはしなかった。 しかし、事は重大すぎる。一存では決すべきではない。彼は、鳥羽法皇の叡慮えいりょ
を仰いだ。法皇は、案外、お気安く許された。多子の万人に優れている美質を、忠通以上にも、つとに知悉ちしつ
しておられるらしい。 こうして、女御代のことは、決定した。 やがて、皇后となるべき約束のもとに、しかし彼女自身は何も知らずに、多子は、宮廷の一女子となった。 頼長の得意は、いうまでもない。光彩は門にみち、家福は園えん
にあふれる東三条亭であった。── 宇治の別荘にいる、兄弟の父忠実も、賀状のうちに、老来第一のよろこびに会えりと、家門の繁栄を、祝福してきた。 |