〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/19 (火) まり (一)

来賓らいひん たちは、まだ、蹴鞠けまり を興じあっていた。
主人の侍従ノ大納言成通なりみち が、さいごに、秘技を見せて、人びとに、驚嘆の をみはらせた。
成通は稀代な蹴鞠の名人で、かつて、清水寺の舞台の欄干の上を、鞠を蹴りながら渡ったことは、有名な語り草となっている。
また、千日蹴鞠をする願を立てて、雨の日は、大極殿の広床に、やまい の時は、寝なから鞠を足にあてがって蹴っていたともいわれ ── とにかく一道に徹しなければ止まないとする、強い意志のある風流子ではあった。
ところが、この日、成通は、やんやという称讃を浴びながら、やがて、その後で、
「自分は、五十六歳の今を最後として、もう今日限り、鞠は蹴りません」
と、大勢の来賓や友に、誓った。
「どうしてです?」
と、彼の知己たちは、驚きもし、いぶかりただ したが、
「すこし、思うところがあってです。そのうちに、おわかりになる日がありましょう」
とのみで、あとは酒宴となり、成通の “鞠別れ会” のようなかたちになった。
それでも、人びとは、酔うほどになお、成通が、どうして、蹴鞠をやめるのか、その心事を、 きたがった。
で、成通は、笑いながら、こんな風に、心の一端を、ほのめかした。
「鞠の道に、三十余年、遊びました。初めの十年は、ただ面白さだけで過ぎ、次の十年は、名聞や誇りのために情熱をそそぎました。それからの後十年は、鞠にも、道があることを知り、面白さは、苦しみに変じ、名誉欲は、懐疑になり、技術も、行き詰まってしまったのです。・・・・ところが、このごろになって、ようやく、鞠と自分とが別物でなく、なんだか、鞠もわが身も、一つになって、飄々ひょうひょう と遊ぶことが出来始めました。・・・・すると、もう、鞠という対象がなくなっても、いつでも、鞠の心になって、身を遊ばせる自由を覚え、なま なか、蹴鞠の約束をもったり、衣装を着けたりするのが、うるさくなってまいったのです。── 和歌の道、弓の道、管絃かんげん の道、すべてに、菩提ぼだい に通じる境地があり、そこに達すれば、仏への道もまた一つだと聞かされていましたが、ははあ、これは得難い機縁に近づいたことぞと思い、せっかく、こけの一心でやり通して来たこの道を、さらに、彼岸へまで、楽しみ続けたいと発心いたしたわけであります。かまえて、鞠をやめたわけではありません。鞠さながらに、身を持って、いよいよ世を楽しみ、長命でもありたいという凡夫の願いにほかならぬものであります」
酒中の述懐だったので、聞く者は、分かったような顔したり、 ぜ返したり、また、感嘆したりして、聞きざわ めいてしまったが、後、七年半を経て、保元の乱が勃発ぼっぱつ するや、とたんに、侍従の大納言成通は、その日に、剃髪ていはつ して、西行と同じ世界へ、出家してしまった。
成通と西行は、前からの和歌の友であり、その日の “鞠別れ会” に、西行の姿は見えていなかったが、もうそのころから、西行は、成通に向かって、名誉や権勢のちまたを捨てて、早く、真の生命を楽しむ世界に生き給え ── と、しきりに、出家をすすめていたものらしい。その証拠には成通へ宛てた消息の歌が、西行法師の 「山家集」 には、幾首となく っている。そこで、人びとは、後になって、成通のその日の言葉を、思い合わせたことであった。
── まことに今は、何となく、世のただねらぬ雲あしが られる。その風雲のくる前に、うそ でないまこと の平和と自然の中へ、身を移し住もうと考える人たちと ── また反対に ── 荒天のそよ風に名利を夢みて、われから風雲へ近づこうとする者と、世のつじ には、思い思いな人間のさまよいも、またながめられた。
夕顔の三位などは、まさに、後者の一人であろう。彼は、それから数日の後、東三条の亭をたずねて、悪左府頼長の、あの長い顔に前に、久しいこと、声しめやかに、話しこんでいた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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