しかし、ここに、彼にとって、大きな当惑があった。 その多子は、彼の実弟
── 悪左府頼長の養女であることだった。 頼長の妻の幸子
は、徳大寺公能の妹である。公能の一女が、頼長夫妻にもらわれて、東三条亭の深園に養われていたのは、何の不自然ではない。 むしろ、忠通の考えを、実現するには、好都合なわけである。 ところが、人にもかくれないほど、忠通と頼長とは、もともと、至って兄弟仲が悪い。兄弟そろって、朝廷の重職を奉じ、三公の枢機にあずかりながら、政治上の意見でも、かつて、心から一致したという例ため
しがない。 とはいえ、忠通は、それをもって、女御代選定の公正を、ゆがめようとする程、佞奸ねいかん
ではなかった。また、意中のことは、法皇にはもちろん、陛下の近親にも諮はか
って、同意を得ているので、ただ、この内交渉を、弟の頼長へ、どういう形で申し入れるがよいか? ── それを悩んでいるだけである。 (あの、つぬじ曲りの頼長のこと、兄の自分から話したのでは、吉事と、肚はら
ではよろこんでも、なんのかのと、だだをこねて、また、手こずらすに違いない) 忠通が、おそれるところは、それだった。 そこで、彼は、考えついた。 この内交渉の使いには、夕顔の三位にかぎる。経宗なれば、心ききたる男だし第一、自分たち兄弟の父忠実から、深く信用されてもいる。かつは、その忠実の宇治の別荘へも、東三条の頼長の亭へも、親しく出入りしているので、相互の間を、円満に説きつけるには、これ以上の適任者はない。 ──
そういう思案が胸にあったところへ、おりもよし、今日の蹴鞠の会だったのである。 睡蓮すいれん
の紅白をわたる微風のほか、この池亭には、心を煩わずら
う人影もない。 忠通は、意中のものを、余さず、彼に語ることが出来た。 「御辺ならでは、と思うての頼みぞ。ひとつ、左府どの夫妻へ、そっと、話し入れてくれまいか。──
多子を、今上の女御代へ、さし出す儀を、つつがなく、拝受するようにとな。もっとも、公おおやけ
には、左府どのが、内諾と、きまったうえ、あらためて、手続きを運ぶことは、もちろんだが」 「よく、わかりました」 経宗は、よろこんで、引き受けた。彼の才気として、易々たる使命に思われたばかりでなく、何か、自分の栄達も、将来に、約されるような気持まで、介在していた。 「さっそく、東三条殿をお訪ねして、よくお話もし、また、お口ぶりによっては、宇治へも、伺って、よろしく、おすすめいたしましょう。ほかならぬ、御吉事ですから、おそらく、ご異存などは、ないこととは、思われますが」 「いやいや、そこが、気むずかしい相手と、思うてくれただよい。・・・・ゆめ、よろこびごとを、齎もたら
すような顔してなど、参られなよ。とかく、逆に出たがる左府殿でな」 「ご気性は、よく存じあげておるつもりです。一面、御心得も早く、うんと仰っしゃれば、極めて、からりと、磊落らいらく
なお方ではありますから」 後日の返事を約して、経宗は、池亭を退がった。 |