〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/19 (火) どう じょ ぞう (二)

近衛帝は、おととし、元服の儀式をあげられ、本年、十一歳におなりになる。
はやくも、立后のことや、また女御代にようごだい の選定が、遠くない将来の問題として、側近たちに、考えられていた。
あれ、これ、候補者のうわさも、ないではない。鳥羽院の法皇にも、父として、しきりにお考え中」らしい。
さしあたって、女御代は、急速に決めなければならなかった。大嘗祭だいじようさい のみそぎには、ぜひ女御がおそろいでなければならぬ。天皇が幼少であられる時は 「女御代」 がそれに代わる制になっている。しかし、天皇御成長の後には、それが女御として、入内するのが例になっているし、女御がやがて、皇后に立たれる場合も多いので、その人選は、よほど厳密に、しかも将来にわたって、考えなければならないのである。
── これの選定は、もとより法皇も、お心にかけておられようが、だれよりも、実務的には、摂政の任である。
およそ資格のある藤氏の家柄で、 い姫を持つ親は、ひそかに、家門の僥倖ぎょうこう を思わないものはなく、裏面ではもう猛烈な運動や工作も、行われ出しているという。
帝景代々のあいだ、いつも、この女御や立后の選ほど、もめやすい問題はない。ひとたび、誤らんか、宮廷は、貴族間の対立、陰謀、紛乱の部隊と化し、世間の知らない秘史を描いて、 むところなく、闘ってしまう。── それの登場者はみな、私心はかくし、口に、国家や皇室のためを説き、決して、我執がしゅう を捨てないから、ついには、大乱をかもした例も、史上、まれではないのである。
忠通は、摂政の任を、今ほど、身に重く思ったことはない。慎重に、ここ数ヶ月、考えに、考えて来た。
彼は、やっと、結論を持った。
公平に、また努めて、客観的に見て、
(あの姫をおいて、ほかに、まさ るお方はない)
といえる、ただお一方を、彼はすでに、意中に決めていたのだった。
多子。
右大臣徳大寺公能きんよしむすめ である。
美人は、世に少なくはない。けれど、一世紀に、一人か二人、神は、人間に中へ、神の手芸みたいな工夫の美人を生ませる。そして、そのような美人が、人間の地上で、どんな運命と一生を営むかを、試みるのではないか ── と思われることがある。そんな想像も伴うほどな美をこそ、いわゆる “絶世の美人” とは、いうのであろう。多子は、たしかに、そうした美玉であった。
けれど、かの女はまだ、十二歳の童女であった。
女として、もちろん、熟していないし、深窓のつぼみでしかないが、天成の珠玉たる美質は、はやくから見えている。性は聡慧そうけい で、絵を好み、美しい仮名文字を書き、音楽には、天才的なひらめきがあるといわれ、わけて和琴わごん琵琶びわ は、実に、上手じょうず である。
(まこと、神の造られた天麗の童女。生まれながらの気品。あの姫君なれば、ゆくすえ国母とあがめられるも、恥ずかしくはない)
忠通は、多子の童女像を、夢の中に描いて、ほかにはないと、公正に信じた。

※ 女御代
大嘗祭の御禊の儀を行う時、選ばれて女御の代わりをつとめる女官。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next