〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/18 (月) 野 風 (一)

彼とよろい のことでは、なお、後日譚ごじつたん がある。
その年の、十一月である。
一年の幽居を解かれ、また、多額な贖銅も、官庫へ納めおえて、清盛は、罪なき身となり、ふたたび院へ出仕することになった四、五日前のこと、
「安芸どのの、おん前に、合わせるおもて もない者では、おざるが・・・・」 と、駒寄/rb>こまよ せの式台に、へたばって、泣かんばかりに、目通りをこう者がある。
押野呂であった。かれは、奥へ通されると、その猫背/rb>ねこぜ をいよいよかたく屈/rb>かが めたきりで、
「どうか、先頃の、悪態は、思慮のない、工匠気質/rb>たくみかたぎ囈言/rb>たわむれごと と、お聞き流しくだされい」
と、皺/rb>しわ びたいに、汗をうかして、わび入るのだった。
「おやじ、いかが致したかよ?」
清盛が、笑って、訊/rb> いてみると、こうである。
この間は、腹立ち紛れに、膠鍋/rb>にかわなべ を投げつけて、悪口を申し上げたが、実はその後、あの日の蓮台野のことを、ご当家の郎党から、のれ伺って ── さては、そういう優しいお心でのことか ──と、なんども、ひとり恥じ入りました ── というのである。
畜類にさえ、そうしたお慈悲を持つお方のおん鎧/rb>よろい なれば、鎧師として、お願いしても、是非作らせていただきたい。武者とは、弓勢/rb>ゆんぜい ばかりの強さでなく、あなた様のように “もののあわれ” も持って欲しい。まことの武者に召せれるものこそ、鎧師もまた、善意と良心をもって、仕事に打ち込む張り合いをかきたてられます。──実は、そうして仕上げたおあつらえの物を、今日持ってまいりました。改めて、どうかお座わきへ、お納め願いたいと存じまして ──
彼は、携えて来た一領/rb>いちりょう美々/rb>びび しい鎧具足を、氏神へでも供えるように、清盛の前において、誇りも言わず、偏屈も出さず、ただ清盛の満足を見て、満足とし、やがて、いそいそ帰って行った。
幽居の解かれたのも、のびのびしたし、鎧のできたのも嬉しかった上に、もうひとつ、彼の妻にも、よろこびがあった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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