〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/18 (月) 美 し き 家 族 (三)

「御注文の、おんよろい のことで、参じまいてござりますが」
居職いじょく の老人にはよくあるせむしのような猫背ねこぜ の鎧師である。むっそりと、ふくれづら して、清盛に言う。
押麻呂作りの鎧といえば、武者仲間では、珍重物だった。彼の作品は、おどし糸のヨリから小札こざね の一枚一枚にまで、良心がこもっているといわれている。その代わりに、驚くべき高価であり、また、たやすくは、注文に応じない偏屈な翁だとも聞いていたのを、清盛は、一領の小桜縅こざくらおどし をあつらえて、ようやく、望みを遂げ、近いうちに、見られることになっていた。
「お好みの、染め革もでき、金具の鍍金ときん 、縅、菱板ひしいた草摺きさずり と、何から何まで、仕上がるばかりになりまいて、ただ一つ、お約束のきつね の生き皮が届いてまいりませぬ。あれや一体、どういうことにしておきましょうな?」
押麻呂は、その催促で、来たのだった。
生き皮を、鎧の き所に使うのが、彼の特技とかで、清盛があつらえた時も、二枚の狐の生き皮を、押麻呂の指定する日に、届けることが、条件となっていた。
その二枚は、綿噛わたが みの裏打と、胴裏のすそ まわりと、そう脇当わきあて に使うのであるそうだが、脱脂だつし していない生皮なまがわ をはるには、にかわ の煮込みに、むずかしい技術がいるし、何よりは、幾十時間も炭火でトロトロ煮上がったときに、すぐ生き皮の現品がないと、せっかくの膠がムダになるのだともいう。
「お約束の日に、 けをくい、膠のムダ煮を、何度やったことかよ」 と、この名人気質の翁は、腹を立てて、責めるのである。 「── ただの皮を使うなら、おやすいことじゃ。ただし、そんな鎧でよろしいなら、世間に鎧師はたくさんにおる。どうか、ほかへお命じくだされい」
「いや、悪かった。怒るな。そう怒るなよ老爺おやじ 」 と、清盛は、彼の気性からいっても、無理はないと、あわてて詫びた。
「その都度つど家人けにん を狩にやっては見たが、いつも雉子きじうさぎ などばかり採って来て、かんじんな狐が獲られぬのだよ。今度は、おれ自身、出かけてみる。── そうだ、日限を約しておこう」
「また、待ち呆けでおざろうが」
「いんにゃ。かならず」
勿体もつたい をつけるわけではおざらぬが、膠煮には、秘伝もおざって、わらべ 弟子でし や女手などには、まかせておけぬ仕事なのじゃ。炭火の加減、さい湯、練り、あわ立ちなど、二夜も、精魂込めて、見ておらにゃなりませぬ。・・・・ところが、生き皮は来ぬ。膠はもどる。また、忌々いまいま しくも、ムダびして、捨てるときの腹立たしさと、いったらない」
「いや、今度は、たが えぬ。明後日のたそがれでは、どうだな。灯ともしごろまでに、きっと、和主わぬし の宿まで、清盛、自身で届けにゆくが」
「御自身でな?」
「人だのみでは、また、心もとない」
「が、今度も、約を違えたら、どう召さる?」
「罰として、贖銅しょくどう (罰金のこと) の刑でも、何でも、承ろうよ」
「わははは。あははは」 押麻呂は、猫背ねこぜ を伸ばして、ひざをたたいた。 「── よろしい。日吉ひえ 山王の神輿へすら、一矢を射た安芸殿のことじゃ。御一言を信じようわい。・・・・では、さっそくに家に帰って、膠の煮込みにかかり、明後日の灯ともしごろには、お待ちしておりますぞい」

※ 居職
印判師、裁縫師などのように、自宅にいて仕事をする職業。また、その人。この反対が 「出職」。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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