〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/18 (月) 美 し き 家 族 (二)

「やあ、これは」
「どうだな、重盛の矢すじは」
「ご覧のとおり、なかなか引かれます。・・・・が、素直で、烈しい矢は出ません。やはり御気質ですね」
「まだ、幼いのだろう。弓も、弱いし」
「でも、自然、矢には気性の出るものです。── 六条判官為義の末子八朗為朝ためとも というのを、御存じですか」
「うム。聞いてはいるが」
「腕白無類で、兄たちも、親の為義も、手こずり者と嘆いていたとか。── 今は、西国の源氏のなにがしかへ預けられているそうですが、この八朗為朝が、十一歳のとき、今宮の社の弓競べに出たのを、見たことがあります。実に、驚くべき、強弓ごうきゅう をひき、それ矢が、土壇どだん に深く立ったのでも、大人が両手で抜けないほどでした。果たせるかな、都におけない親泣かせと、なりましたが」
「あはははは」 突然、清盛は笑い出して 「── 時忠、それは、おまえ自身のことを言っているようなものだぞ」
「親泣かせのことですか。イヤもう、近ごろは、闘鶏はやりませんし、喧嘩けんか も、祗園ぎおん 以後は、謹んでおります。去年限り、喧嘩には、 りました」
「そう懲りなくてもよかろう。その後、叡山えいざん はややおとなしくいなっているが、南都の興福寺など、また、騒ぎ出しているようだし、法師どもの思い上がりは、まだまだ去年の一矢ぐらいでは、眼をさましそうにない」
「そういえば、八月の末、その興福寺の僧徒数千が、強訴こうそ入洛じゅらく するところを、六条為義が手勢を率いて、宇治川へ出向き、これを途中から追い返したとかいうことで ──近ごろ、為義の名声は嘖々さくさく と高く、院の覚えもめでたいとか、しきりに、沙汰さた されておりますよ」 と、時忠は、つい調子に乗って言った。嫉妬めくほど、なお言うのである。
「── 聞けば、悪左府の頼長公は、またなき、源家の肩持ちだそうです。刑部殿 (忠盛) や、兄者人あにじゃびと御逼塞ごひっそく のうちに、なんとか、為義を武者の筆頭にすえて、この後とも、平氏の者の立身を抑圧してゆく方針だとか。・・・・そんな風聞も、よく耳にいたしますが」
清盛は、ちょっと、いやな顔をした。共感してのことか、反撥なのか、分からない程度に。── だが、幽居の生活に耐えている静かな心の池が、ふと、波紋を立てたことには間違いなかった。
そこへ、家人の平六が、鎧師よろいし押麻呂おしまろおきな が来て、お待ちしておりますと告げた。退屈な毎日である。だれにかかわらず人恋しいらしい。清盛はすぐ足をかえ して客殿へ入って行った。

※ 土壇
土で築いた壇。特に、斬首の刑を行う為に築いた土の壇。せっぱづまった急場のことは 「土壇場」 という。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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