「やあ、これは」 「どうだな、重盛の矢すじは」 「ご覧のとおり、なかなか引かれます。・・・・が、素直で、烈しい矢は出ません。やはり御気質ですね」 「まだ、幼いのだろう。弓も、弱いし」 「でも、自然、矢には気性の出るものです。──
六条判官為義の末子八朗為朝
というのを、御存じですか」 「うム。聞いてはいるが」 「腕白無類で、兄たちも、親の為義も、手こずり者と嘆いていたとか。── 今は、西国の源氏のなにがしかへ預けられているそうですが、この八朗為朝が、十一歳のとき、今宮の社の弓競べに出たのを、見たことがあります。実に、驚くべき、強弓ごうきゅう
をひき、それ矢が、土壇どだん
に深く立ったのでも、大人が両手で抜けないほどでした。果たせるかな、都におけない親泣かせと、なりましたが」 「あはははは」 突然、清盛は笑い出して 「──
時忠、それは、おまえ自身のことを言っているようなものだぞ」 「親泣かせのことですか。イヤもう、近ごろは、闘鶏はやりませんし、喧嘩けんか
も、祗園ぎおん 以後は、謹んでおります。去年限り、喧嘩には、懲こ
りました」 「そう懲りなくてもよかろう。その後、叡山えいざん
はややおとなしくいなっているが、南都の興福寺など、また、騒ぎ出しているようだし、法師どもの思い上がりは、まだまだ去年の一矢ぐらいでは、眼をさましそうにない」 「そういえば、八月の末、その興福寺の僧徒数千が、強訴こうそ
に入洛じゅらく するところを、六条為義が手勢を率いて、宇治川へ出向き、これを途中から追い返したとかいうことで
──近ごろ、為義の名声は嘖々さくさく
と高く、院の覚えもめでたいとか、しきりに、沙汰さた
されておりますよ」 と、時忠は、つい調子に乗って言った。嫉妬めくほど、なお言うのである。 「── 聞けば、悪左府の頼長公は、またなき、源家の肩持ちだそうです。刑部殿
(忠盛) や、兄者人あにじゃびと
、御逼塞ごひっそく のうちに、なんとか、為義を武者の筆頭にすえて、この後とも、平氏の者の立身を抑圧してゆく方針だとか。・・・・そんな風聞も、よく耳にいたしますが」 清盛は、ちょっと、いやな顔をした。共感してのことか、反撥なのか、分からない程度に。──
だが、幽居の生活に耐えている静かな心の池が、ふと、波紋を立てたことには間違いなかった。 そこへ、家人の平六が、鎧師よろいし
の押麻呂おしまろ の翁おきな
が来て、お待ちしておりますと告げた。退屈な毎日である。だれにかかわらず人恋しいらしい。清盛はすぐ足を回かえ
して客殿へ入って行った。 |