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なお、論旨をすすめ、 「凶暴な衆徒の押し立てた神輿には、矢が立っても、決して、まことの神仏には、矢は立ちますまい。そんなことで、神威が陥
ち、仏力が失われるとしたら、おかしなものです。かえって、邪雲を払い、まことの信仰を、人びとの胸に、新たに呼び起こしたと申してもよい。── 左府どのには、あの結果、神も仏も、地に陥ちて、世の中が、暗くなったようにでも、思し召されたか」 と、かろく揶揄やゆ
して、頼長の方を見た。 声のない冷笑が、席を流れた。頼長も、にんやり笑っている。そして大きな唇くち
を、さらに大きく結んだまま、何も反駁はんばく
しなかった。── あきらかに、法皇のおん眼が、信西入道の言を、嘉しておられると、見たからである。 集議を重ねること七回、さしもの、難問題も、この日で、終わりをみた。 法皇は、少納言ノ局をして、ただちに、詔を発せられた。 (安芸守平ノ清盛ノ罪ニ、贖銅シヨクドウ
ヲ科セラル) それだけであった。時忠、平六などには、何も、触れていない。 贖銅とは、罰として、銅の公納の義務を負うことであり、流罪とか、官職の褫奪ちだつ
などよりも、はるかに軽い罰金刑というわけである。 宣下が、伝えられると、武者所で、凱歌がいか
のような、声がわいた。 「どうだ。連れ立って、六波羅ろくはら
へ、祝いに行こうか」 「夜になったら、飲みに行こうぞ。あの安芸どののこと、きっと、一族を集めて、感涙をながし、泣き酔いしているにちがいない」 ひとりここの北面、西面ばかりではない。洛内の地下人武者は、みな、我が事のように、この裁決を、見守っていたのである。彼らの、清盛支持と、関心とは、想像以上のものがあった。 しかし、ここに、例外がある。 同じ武者階級でも、喜びを共にしたのは、やはり平氏を名乗る武者だけであり、六条判官為義を中心とする源氏武者は、無表情に、聞きながしていた。 「悪い、相手だった・・・・」 叡山の内部では、愚痴が、くり返されていた。 「清盛ずれを、強訴の表に謳うた
ったのが、誤りだったぞ。── 初めから、加賀白山の問題だけを、理由に押せばよかったのだ」 「今となっては、いうても、始まるまい。しかし、清盛というやつは、どえらい骨太だ。山門の悪僧中にも、あれほどの男は、見当たらぬ」 その後のこと。横川ノ実相坊、止観院ノ如空坊、西塔の乗円坊などは、寄り合う度に、何か、清盛の話に触れた。 一矢を、ふかく、肺心にうけた。憎むべき敵である。怨敵おんてき
、安芸守清盛なのだ。 なぜか、それなのに、清盛の、あの日の姿に、かれらは、反対な感銘を受けていた。 ── 山門としては、もとより、無念を込めて、洛内の空をにらんでいるが、この三人だけは、 「清盛とは、近ごろ、珍重ちんちょう
すべき存在だ」 と、うらみを超えて、苦笑した。 |