〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/15 (金) 石 の 雨 (一) 

振りまわしていたのは、弓であった。もちろん、つる は、跳ねてしまう。
清盛は、横なぐりに、三、四人はそれで、なぐりたおした。あとの行動は、無意識の阿修羅あしゅら である。
だが、目にあまる法師群には、笑うべき抵抗だった。まして彼らの手には、長柄ながえ薙刀なぎなた などの有利な武器も持たれている。
「殺すな。つかまえろ」
衆徒は、ただ一人の清盛を、狩場かりばしし みたいに見て、なぶり合った。
って伏せろ。生かして、えいざん 山へ、ひいて帰れ」
「生け捕りにこそ、生かしてこそ」
実相坊か、如空坊か、声をからして、言っている。
かれらの首脳たちが、清盛をここで殺すまいとするのは、慈悲ではない。後日、鳥羽院へする掛け合いのためであり、また、信仰の大反逆人清盛とうた って、世人の前で極刑にすることの方が、叡山えいざん の威を示すゆえんであると考えたからである。
しかし、勢いは、意のままには、動かない。
狂せる大衆と、死を思わない、一個との、 みあいだ。
清盛は、敵の長柄を奪って、いよいよ荒れまわった。
彼のすね小手こて にも、血しおが見え、地上にも、死者、怪我人が六、七名は、たおれはじめた。
一方、やや離れて、ここと同じ死地にある時忠と、平六も、戦い戦い、つむじ風のように、清盛の方へ、移動して来ながら、ひたすら、清盛を、案じているらしく、
「わ、若殿っ・・・・」 と、かなたで叫び、
兄者人あにじゃびと っ・・・・。あ、あんじゃひと!」
と、 れな叫びを送って来る。
清盛も、呼び交わした。
「時忠あっ。平六っ・・・・。ひる むな。気をのまれるな。おれたちの上にも、日輪はあるぞ」
終わりの言葉は、自分へ言っているのであろう。
そして、すべては、一瞬の出来事だったが、── 騒動は、これだけに、とど まらなかった。
騒ぎを聞き伝えた附近の細民たちは、いつの間にか、真っ黒に、ここを遠巻きにしていた。何か、わんわん言っていたが、
「叡山のおおかみ に、食い殺させるな」
と、ひとりが、小石を持ったのを見 ──
「外道の弟子め」
法師面ほうしづら よ」
「強欲の、悪僧ばらを、やっつけろ」
と、口々から、日ごろの感情を吐き出した。
次には、我も我もと、小石を拾って、投げはじめたのだ。野次馬やじうま 的な心理とするには、余りに、忿懣ふんまん のうなりが聞こえる。突如、降ってきた天譴てんけん の石の雨と、言えない事もない。
これと時を一にして、祗園の木々の間から、黒煙くろけむり を、ふき出していた。
一ヶ所や二ヶ所ではない。感神院の境内や、八坂、小松谷、黒谷あたりにも、煙が見える。
法師勢が、秩序も強がりも失って、乱れ立ったのは、このためだった。── 伏兵がある。敵の伏勢が立ちまわったぞ、と口走りながら、にわかに、黒潰走かいそう しはじめた。
逃げ足となっては、神輿といえども精彩がない。崩れゆく衆徒の上に舞う砂ほこりに、輿こし の屋根をかし がせ、金色こんじき鳳凰ほうおう を横ざまにしながら、見ぎたなく、粟田口あわたぐち 方面へと、立ち退いて行くのだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next