天地の生んだ一個のもの、その清盛は、大路の真ん中にあった。そしてなお、しゃがれ声を、張りつづけていた。 「なんじらの欲するものは、なんじらに与えてやろう。このに連れて来た舎弟時忠、家人平六の二人を、受け取るがいい。──
ただし、二人とも、生きものだということを知っておけよ」 「・・・・・」 こう聞くと、対峙
して、見すえていていた如空坊たちは、苦笑を浮かべた。苦しい妥協に来ての負け惜しみと聞いているらしい。── が、清盛は、ひと息入れて、さらに、言い放った」 「──
因もと は、祗園ぎおん
の喧嘩けんか であった。神も見よ、仏も、耳の穴をほじって聞け。理非いずれは、双方、酒のうえのこと、喧嘩は両成敗と、昔からの慣なら
わしにも聞く。── 清盛の愛する二名の家人けにん
を、忍んで、叡山へ渡すからには、叡山の主あるじ
たる、日吉ひえ 山王の神輿へも、安芸守清盛が、物申さでは、さし措お
かれぬ」 「あはははっ。・・・・あははは。やよ見ろ、安芸守清盛は、気が狂うたのだ。── 気が狂うて、来たとみゆるぞ」 「だまって聞け。法師どもっ。」 清盛は、声を張るのに、満身を揺すった。まるで、熱鉄の上の水玉のように、頬ほお
、あご、耳のうらから、汗の玉が、散るのだった。 「狂気か、正気かは、気をしずめて、なお、おれの言う事を聞いてからにしろ。 ── 日吉山王の神輿も聞けよかし。およそ、神だろうが、仏だろうが、人を、悩ませ、惑わせ、苦しませる神や仏やある。あらば外道げどう
の用具に相違ない。叡山の凶徒にかつがれ、白昼の大道を押し歩く、なんじ、日吉山王の神輿こそ、怪け
しからね。幾世、人を晦くら まし、迷わせて来つらんも、この清盛を、たぶらかすことはできぬぞ。──
喧嘩は両成敗ぞ。覚悟せよ、邪神の輿っ」 あ? ── と、うろたえの表情が、無数の面上をかすめたとき、もう清盛は、弓に矢をつがえ、キ、キ、キ・・・・と、満をしぼって、神輿へ、鏃やじり
を向けていた。 横川ノ実相坊は、おどりあがって、頭から火を出すような、大喝だいかつ
を放った。 「あな、無法者っ、罰あたりめっ。──血へど吐いて、死ぬも知らぬか」 「血へど? 吐いてみたい!」 びゅんと、一線の弦つる
鳴な りが、虚空こくう
に、聞こえたとき。── 矢は、サッと、風を切り、神輿の真ん中に、突き刺さっていた。 ── とたんに、狂せるような諸声もろごえ
が、二千余人の荒法師の口から揚がった。白丁の神人たちも、とび上がって、何やら口々に言った。哭な
くが如き声、怒る声、傷いた む声、戸まどいの声、放心の声、悲しむ声、吠ほ
える獣のような声。声、声、声の一つ一つに生きものの感情がどぎつくほろばしっていた。 古来。 どんなことがあっても、神輿に、矢の当たった例ため
しはない。また、神輿の大威徳を冒おか
して、矢を向けるばかもいないが ── もしあれば、矢は地に落ち、射手は立ち所に、血ヘドを吐いて、即死する。 ── こう、かたく、信じられていた。 ところが、矢は神輿に刺さった。 清盛は、血ヘドも吐かず、なお、立っている。 迷信は、白日はくじつ
に破れた。それは迷信利用の中に、生活の規模と、伝統の特権をもっていた山門大衆が、赤裸にされたことでもあった。彼らは、狼狽ろうばい
と、おどろきの底へ、たたきこまれた。 しかし、祈祷きとう
のきかないことを、たれよりも知っていたのは、祈祷する者たちでもあった。── 大衆を指揮する大法師たちは、大衆の幻滅と狼狽を、すぐ彼らの怒気へ誘って、 「やあ、稀代な痴し
れ者っ。そこな外道を、取り逃がすな」 と、暴力を、けしかけた。 うわっ・・・・と、襲いかかる荒法師の長柄ながえ
の光や、土ほこりや、神人たちの棒の雨の中に、清盛の姿は、たちまち蔽おお
いつつまれて、見えもしなくなった。 乱闘の渦は、別な所にも起こった。同じように、時忠、平六の二人も、取り囲まれてしまったとみえる。 |