いつも、大衆
の先には、必ず姿を見る叡山えいざん
名うての大法師 ──止観しかんいん
院ノ如空坊、横川よかわ ノ実相坊、西塔ノ乗円坊などは、憤然として、いま、鳥羽院の内から退さ
がって来た。 「さては、使僧たちの誓願は、却下され、交渉は、決裂したな」 人びとは、大法師たちの、仏頂面ぶっちょうづら
を見て、そう覚った。 三人の法師は、院の随身所に預けれおいた大薙刀なぎなた
を受け取ると、それを、りゅうと小わきに持ち直し、待っていた堂衆十二名を、うしろの従えて、あだかも、対等国の使いが、手切れとなって、引き揚げるような、硬こわ
ばった表情で、いま、門を出て来たのである。 かれらの眉まゆ
には、あきらかに、 (── 出直して来るぞよ。手をやくな) と、威嚇いかく
のうす笑いも、ひそんでいる。 神輿を、持ち込む前には、一応、誓願の使者よ称するものを、こうして向けて来るのが、いつもの手順だった。 しかし、事態が、ここまで切迫しては、朝廷の場合でも、院でも、面目上、かれらの威嚇に、屈するわけにはゆかない。 誓願は却下。妥協は、破れると、きまっている。 彼らは、他年の経験から、そういう交渉にも、それからの手段にも、熟練していた。いつもやる常套じょうとうく
手法として、時を移さず、待機している数千の大衆が、神輿を奉じて、洛中らくちゅう
へ襲よ せてくる。途中、法師たちは、いかに自分らの要求が正当で、朝廷や院の処置が不行き届きであるかを演舌しつつ、洛内をもに歩いた後、目的の門に、殺到するのだ。 その場合、武者は、陣列を組んで、備えるが、これを、武力で阻むことは出来ない。案山子かがし
の弓矢なのである。 押し寄せた大衆は、強訴ごうそ
の正当を、ここでも叫び、政府の応ぜぬ限り、座り込む。そして、 “御座ぎょざ
据す え” といって、果ては、神輿を置いて、立ち去ってしまう。 この神輿は、何人なんびと
でも、絶対に、手を触れることは出来ない。── が、たいがい、これくらいな目にあうと、ついに、朝廷も院も、折れるほかなかった。これまでにも、一たんの宣旨せんじ
を変更し、晨あした の政令を、夕べにひっこめた例は、数知れないほどなのである。 この日の、叡山の要求も、初めは、 (安芸守清盛の義弟、平ノ時忠と、朗従平六の身を引き渡す事
──) であったものが、 (あわせて、さきに上申中の、加賀白山の廃寺の荘園しょうえん
を、叡山の領有として、御裁可ありたきこと) という懸案の難問題を、抱き合わせて、来ているのだった。 これは、法皇も、見抜かれていたので、断固として、お聞き入れにならない。──
夜明けごろから、摂政関白忠通、左大臣頼長、右大臣雅定など、院中の協議と往来はものものしい空気だったが、帰するところ、叡山は、祇園ぎおん
祭まつ りの小事件をとらえて、実は、荘園の獲得を計っているものと観み
られるので、 (── 捨ておけ) と、法皇の宸怒しんど
は、めずらしくお強いのであった。 「いよいよ、大衆の襲来か」 武者たちは、悲壮だった。 弦つる
を放てぬ矢を負い、抜くを得ない太刀たち
をはき、かぶとの鉢金はちがね
を、炎日に照りつけられて、ただ、具足の列を、並べあっているしかないのだ。── もし、衆徒の方から、狼藉ろうぜき
でも働けばだが、神輿をかつぎこまれるだけでは、地に拝して、彼らのなすがままを、見ているほかはない。 「おお、安芸どのが見えられた。安芸どのが・・・・」 おりもおり、清盛の来たのを見て、人びとは、何とはなく、どよめいた。口に出せない奇妙な鬱屈うっくつ
を、清盛のいつも屈託のない顔に、吐け口を見つけたのである。声々こえごえ
に、何か言って、いささかな色めきを発したものだった。 |