〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/12 (火)  輿こし り (二)  

山門の僉議は、たびたびだった。
鐘楼からの合図にも、梵音ぼんおん連打れんだ緩打かんだ などがあり、非常か、否かも、およし分かる。
この日の暁闇ぎょうあん 、大講堂の前庭には、入堂杖や、薙刀を持った黒衣覆面の老法師、若法師などが、ざっと二千人も、集まった。
彼らは、おのおの、その辺の意志を持って来て、腰打ちかけ、堂の正面へ向かって、みな面をそろえていた。
横桁よこげた 、百十一尺よいう廻廊かいろう の階下には、見るからに勇猛らしい大法師が、大五条の袈裟けさ に頭を包み、法衣の下に、荒目のよろい を重ねて、雨打ちの石に腰をすえ、菖蒲形あやめなり長柄ながえ を持って、大衆と、相対している。
それにも劣らない、荒法師や、老法師など、八、九人は、堂の上に立っていた。
「── 事は小に似て、小でない。われら山門の権威にかかわり、ひいては、他山のそしりに乗ぜられ、国家の鎮護たる延暦寺えんりゃくじ の法燈の存亡にも、かかわってくる。──大衆の存意は、いかがあろうや。僉議せんぎ の眼目は、強訴ごうそ に向かうか、 むかの、二つにきわ まる。忌憚なく、申されよ。── 応か、否かを」
ひとりは今、弁舌のかぎり、長々ながなが と演舌を終わった。
僉議にかけられた問題というのは、次の事件であった。
── この六月の初め。
例年の祇園祭ぎおんまつり が、行われた。
祗園はもと、奈良の興福寺の末寺であったが、叡山との争いに、権利を失って、今では、祗園に古い蓮華寺も、感神院も、祗陀林ぎだりん 一帯の地域は、すべて、叡山の支配下になっている。
そこで、祭事には、当然、多くの延暦寺僧が出張し、祗園の神人じにん (神社の人びと) らと一緒になって、行事ぎょうじ り行っている。
ところが、その祭りの一日、延暦寺の法師たちが、二人連れの武者と、喧嘩けんか した。法師どもも、祭り酒に酔っていたが、あいての武者にも、酒気があった。
だから、喧嘩の原因は、取るに足らない。
しかし、結果は、看過し難い ── 。武者二人は、法師や神人を、なぐ りとばし、 けつけた叡山方の僧数名をも傷つけて、いずこともなく、逃げうせた。
群集も見ていたことである。所もあろうに、祗陀林の霊地に血を流し、山門の名誉に、ぬぐい難い、汚辱を与えた地下人ちげびと めらを ── 叡山としては、断じて、黙過できない。
ただちに刑部ぎょうぶ 省へも、検非違使けびいし へも、正式に、訴えを出す一方、彼らの何者なるやを、探ってみたところ、それは、鳥羽院の武者で、近ごろ、六波羅に新居を建てたとか言う ── 安芸守あきのかみ 清盛の郎党と、もうひとりは、清盛の義弟、時忠ときただ なることが、分かった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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