〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻
2013/02/11 (月)
大
(
だい
)
比
(
ひ
)
叡
(
えい
)
(三)
この老碩学は、若くして、つぶさに、世路の苦難をなめ、どうか、世の悩める人々を救うほどな、高僧になりたいもの ── という
発願
(
はつがん
)
から、この叡山に、一生を託した者の一人だった。
そのため、彼は、人生のほとんどといえる四十余年を、破衣素食に耐え、禁欲の
戒
(
かい
)
を、守りとおした。
七年間というもの、一日一夜も、欠かすことなく、
峰々
(
みねみね
)
谷々
(
たにだに
)
の、
伽藍
(
がらん
)
をめぐって、血みどろな、素足で、闇夜の工夫も積んだし、また、
大蔵経
(
だいぞうきょう
)
の宝庫に入って、数年間、
陽
(
ひ
)
も見ずに、
眼
(
まなこ
)
を、仏典にただらしたこともある。
つねに、
難行道
(
なんぎょうどう
)
の門に、生命をさらし、欲望をなげうち、諸州を歩いて、他宗の
輩
(
ともがら
)
と、法論をたたかわし、碩学の名、一代にかくれもない、
高徳
(
こうとく
)
となはった。
こうして、晩年には、僧位も受け、一院の長老となり、いま、叡山に、
知識
(
ちしき
)
は、多いが、開山
伝教
(
でんぎょう
)
の
台密禅戒
(
たいみつぜんかい
)
の四理にくわしい高僧といえば、この人のほかにはないとも言われている
ところが。
この碩学も、いまは老いて、しかも、彼の住む、谷間の一院には、たれひとり、寄り付く者はない。
叡山の塔堂は、年ごとに、
輪奐
(
りんかん
)
の美を加え、法燈は、中堂にかがやき、穀倉には、諸国の
田富
(
でんぷ
)
をあつめ、
座主
(
ざす
)
以下の知識、
学侶
(
がくりょ
)
、堂衆、
稚子
(
ちご
)
、
奴僕
(
ぬぼく
)
などの、ここに衣食する者、数万と言われているが、こも天台繁昌に会って、彼は、今やまったく、絶望しているものらしい。
「むかし、開山の祖、
最澄
(
さいちょう
)
も、その生涯を終わる前に、
戒壇
(
かいだん
)
問題で ──
心形
(
ジンギヤウ
)
久シク
労
(
ラウ
)
シテ一生ココニ
窮
(
きは
)
マル ── と仰せられたと言うが、自分も自分の積んできた知識と現実の板ばさみになって、
昏迷
(
こんめい
)
、生きる力も失った。・・・・あわれ、死後に、
弥陀
(
みだ
)
のお迎えを得たとて、何かせん。・・・・満山の
鴉
(
からす
)
よ、わしの肉を食ろうて、一日の
餐
(
さん
)
となせ!」
碩学は、よろりと立って、こう
喚
(
わめ
)
いた。──と、思うと、突然、谷底へ、身を投げてしまった。
※輪奐
社寺その他の建物が、広大で壮麗なこよ
著:吉川 英治 発行所:株式会社講談社 ヨリ
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