〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-] 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
九 重 の 巻

2013/02/11 (月) だい えい (二)  

細い二日月がかかっている。
四明しめいだけ の、けわしい道を、病み弱ったおおかみ みたいな影が、よろ、よろと、よじ登って行く。
杖にすがった、一人の、老碩学ろうせきがく であった。
影は、やっと、巌頭がんとう に出た。
眼の下の深い谷のやみと、縹渺ひょうびょう として、果てなくあお い夜空を前に、へなへなと、座った。
「・・・・な、南無なむ ──」
掌を合わせて、とな えかけると、この老碩学は、さんぜんと、涙をたれた。
果ては、オイオイと、嬰児あかご みたいに、声をあげて、手放しで、泣きじゃくる・・・・。
いったい、平安時代の人間は男でも女でも、よく泣いたし、またよく笑った。喜怒哀楽を、隠さなかったものである。
神色しんしょくまゆ にだに示さず ── というふう を、人物のあつ みとしたのは、もっと後世の日本人であった。儒学じゅがく や武士道の影響だった。
それ以前の、本来の国民性は、歌うにも率直、踊るにも率直。よろこぶや、大いによろこび、悲しむや、涙を流して亡き、そう人前を、気にしなかった。五情六欲の凡愚を、おたがい認め合って、生きたのであった。
── すでに自分たち人間の本性を、理性だけでは処理できない、官能煩悩ぼんのう の、あわれな、はかない、始末の悪い ── 宿命の子として、 ていた人びとなので、大自然の悠久ゆうきゅう にも、仏陀ぶつだ の言葉にも、謙虚であり、素直であった。
東大寺の金銅こんどう 盧遮那仏るしゃなぶつ も、法隆寺の諸菩薩ぼさつ の像も、それを造ったり、のみ を取ったのは、造仏師であったが、現されたものは、こうした信仰の結晶であった。雑知を交えない純粋な信仰の理想に描かれた三十二相の、御眉おんまゆ や、あの御姿おんすがた であった。
今。
四明ヶ嶽一角から、ひとり宇宙の夜に向かって、
「南無阿弥陀仏・・・・なむあみだ・・・・なむあみ・・・・だ・・・・ぶ」
と、泣きじゃくりの称名しょうみょうとな えている奇異な老碩学のまえにも、背光はいこう をもった釈迦しゃか普賢ふげん文殊もんじゅ の三尊や、二十五菩薩などが、雲に乗って、かれには、見えていたにちがいない。
「お、おゆるしください」
地に伏して、彼は、泣き びている。
「── 身の、凡愚も、わきまえず、衆生を、救おうなどとしたわたくしは、自分をすら、救えもせず、いまや、心は、困惑こんわく し、智は、智のためにいよいよくら く、学問は、学問のため、かえって、心理に遠い邪魔なものになっております。・・・・かくて、きょうまでの一生は、徒労でした。のり御山みやま は、悪の御山みやまげん じています。生きている罪科のほども、そらおそろしく、もうこの山に、生き耐えていられません。・・・・あわれ、諸仏のおちかいが、まこと ならば、ほんとの、浄土じょうど とは、ありうるものか、また人間の中には、望み難いものなのか。── それをお示しください、死にきれません・・・・。それもわからないうちには」
きれぎれに、長々ながなが と、彼は、ひとり訴え、ひとり嘆いた。
※神色
精神と顔色。態度。様子。大事に直面しても沈着で顔色が平常と少しも変らないことを 「神色自若」 という。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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