〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/02/11 (月) ろく かい (一)

五条の大橋は、まだ、新しかった。
数年前から、覚誉という、一法師が、よくつじ に立っていた。覚誉法師は衆の公共心に訴えて、零細な浄財を い、ある日は、自分もともに、石をかつぎ、土を盛り、夜は河原の小屋に寝て、やっと近年、しゅんこう 工を見たものであるという。
「世には、寺院と寺院で、焼き討ちし合っている山法師もあれば、また、こういう奇特なまち御僧ごそう もある ──」 と、人びとは言った。
五条に橋が かってから、庶民の生活図が、南へ伸びた。またたくまに、清水寺のふもとや、音羽川、鳥辺あたりまで、人家が、ながめられて来た。
それまでは、 うるがままな雑草と、雑木の原だった六波羅にも、大きな武者屋敷が、建ちかかっていた。
「どなたの、お住居であろう?」
と、通る人は、よく言ったが、だれも、ここに住む者を、まだ知らない。
久安元年の、夏の始め。まだ、壁塗りもよく仕上がらないうちに、大勢の家人、家族をひきつれて、ここへ移って来た主人を見ると、それは、近ごろ、中務大輔なかつかさのたいふ に昇進した平清盛と、その妻子であった。
「どうだ。・・・・水薬師の古館ふるやかた とは、比べものになるまいが」
清盛は、妻へ、誇った。もう三人の母だった時子は、心から、良人おっと と、喜びを共にして、八つになる重盛と一緒に、新しい木の の部屋部屋や廊の間を見まわった。
「おまえの親父は、おれの父以上、変わり者だよ。こんな、よい邸宅よりも、水薬師の古家の方がよいといって、どうしても、一緒に移って来ないのだからな。・・・・が、好きなるものは、ほっておけだ。おれには、八年間もの辛抱だったが」
清盛は、いったが、しかし彼も時子も、結婚後、わずか八年ぐらいで、こんな新築の邸宅に、住む身になろうとは、ゆめ、思いもしていなかったに違いない。
かえりみて、以前の貧苦は、うそみたいな気がするのである。家人郎党の頭数も、むかしに十倍しているし、侍女も召使い、馬もうまや に、十数頭をつないでいる。
(── 何の功があって?)
と、彼自身、とこどき、反問してみるが、なにも、これというほどな、大功もない。
それなのに、父忠盛も、今では、刑部卿ぎょうぶきょう に昇っている。但馬たじま備前びぜん播磨はりま と、所領の地も、三ヵ国に在る。自分だけが、こうなのではなかった。──たとえば、源氏の六条為義なども、同様だった。昨今、洛内には、東国兵の新顔を、おびただしく見かけるが、それはみな六条の配下に増員された坂東者ばんどうもの であり、一族それぞれ昇官を見、門戸兵営を大にして、えん として今や、 “都の豪族” である。
この急激な、地下人ちげびと の優遇や、武人色の表面化は、決して、公卿殿上の、好む傾向ではないにはきまっている。── が、眼をつむって、従来の方針を、こう一変させて来たほど、時はまさに、険悪なのにちがいない。武力なしにはいられない猜疑さいぎ と不安の結果である。また、保守心理の狼狽ろうばい でもあった。
一院 (鳥羽) と、新院 (崇徳) との、御父子の冷ややかなおん仲は、せっかく、相互のあいだに、唯一な緩衝地狽かんしょうち となっていた待賢門院の御出家を機として、俄然がぜん 、真二つの峰と峰とになってしまった。
群臣は、その谷あいのものである。彼らも、大きな動揺をきたし、いずれの峰へ る者も、内心、様々な迷路を持った。複雑な動きや、策謀が行われ出し、明日をも知れない不安に、 られ出したのはいうまでもない。
これに、拍車をかけて、いよいよ暴威をさかんにしているのが、比叡、三井、奈良などの、武装された僧団の大衆である。
かれらへの朝令は、一として行われたためしがない。なんぞといえば、強訴であり、合戦沙汰ざた だ。到底、武力なしには、官庁でも、かれらと対応できないという有様である。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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