その朝、正月十九日。──
西行は、東山を出て、四条の河原まで来たが、おりふし、雪が降って来たので、草庵へ戻ろうかと、思い惑った。けれども先夜、源五兵衛のもたらした消息なども思い出され、 「いやいや、余りに、ごぶさたにすぎてもいるし、世も、いつどう変るやら知れぬ時
──」 と、淡雪の降りつむ橋を、ついに、渡って行った。── 待賢門院のうちの、局たちを訪おうと、思い立ってである。 そして、洛内の一つの辻
まで来ると、 「流人るにん
が、送られて行くぞよ、──夫婦の囚人めしうど
が」 「夫婦しての、流され人とは、どこの、たれか。── 何をしての、流罪るざい
であろうぞ」 雪ともいわない人だかりである。 西行は、別な方へ、曲がろうとしたが、そこも人や馬で、通れもしない。 検非違使けびいし
の武者が、辻をかため、万一に備えている様子から見て、罪人は、家人けにん
も持っている、しかるべき身分の者と、思われた。 「オオ、あの裸馬ぞよ。おいたわしや。・・・・日ごろ、おやさしい、み台所様だいどころさま
も、散位様さんにさま も」 出入りの街まち
の女房たちでもあろうか、おろおろ声で、人々の間に、背伸びするもあり、面おもて
をおおうて、よよと、泣くのもある。 そのうちに、割り竹を持った六条の下司げす
(下役人) た放免たちが、 「退の
け、退け、道を、退きおれ」 「退きおらぬか」 と、路地の口から往来の左右を、いわゆる “恐こわ
らしき者” といわれる権柄けんぺい
と叱咤しった で、群集を、押しひらいた。 狼藉ろうぜき
を極めたそこの屋敷門の内から、二頭の裸馬の背にくくし付けられた流人の夫妻がひき出された。前後には、追立おった
ての武士、役人などが、ものものしく、護り固め、── ひとりの下司は、板に書いた罪文を、手に掲げて、先を、歩き出した。 罪文には、こう読まれた |