「盛遠のうわさを、お聞き及びでは、ございませぬか」 源五兵衛は、また、唐突に、こんな話しを、持ち出した。 西行は、灰の白さと、真っ赤な火の、映じ合う美しさに、うっとりしていたが、面をあげて、 「盛遠とは」
── と、遠い過去の人みたいに、問い返した。 「去年
の暮れ、大赦たいしゃ の令に、追捕の罪名からは、解かれましたが、五年前、袈裟けさ
を殺して、行方をくらました武者盛遠のことです。 ── 近ごろ、紀州の熊野から来た男に聞いたのですが、彼も、今は仏門に入り、法名を、文覚もんがく
とかいって、去年こぞ の秋、熊野権現に、百日荒行あらぎょう
の誓願を立てて、毎日、那智なち
の滝つぼで、滝に打たれていたとか、申すことですが」 「・・・・ああ、あの盛遠か。・・・・なるほど、彼の性根を打ち直すには、滝なら那智。道ならば、自力難行の門。それしかあるまいな」 「わたくしに話したその男も、文覚とは、どんな荒法師やらんと、滝つぼの辺へ行ってみたところ
── 荒縄あらなわ の腹帯を巻き、鈴れい
を振り鳴らし、しぶきの中に、声も出ぬまで、経文きょうもん
を唱とな えている姿は、身の毛もよだつばかりであったとか、語っておりました。──
聞けば、幾たびか、気を失うて、おぼれ流されるところをば、那智の滝守たきもり
に、救われたこともあったとやら。── 何せい、髪もヒゲも、面を埋うず
むばかり伸び、眼は、くぼみ落ちてしまい、この世の者とも見えず、身を寒うしたということでございます」 「ほ。・・・・そうか」 西行は、燃えさしの榾ほだ
を持って、炉の灰に、何やら書いているだけだった。 文覚の、それほどな悔悟かいご
と、捨て身に対して、さすがに、彼を武者の面つら
よごしと、ひところは、ののしっていた源五兵衛も、いまでは、同情的な口うらに、変っている。 だが、西行は、そうでもない。盛遠のとった道と、その正直さは、理解出来るけれど。こうして、春寒はるざむ
の夜を、炉にすわって、ホタホタよ燃える静かな火に、あたたかな若い肉体を、おだやかに、つつがなく、生命の自然そのままに持っていようとすることの方が ── 那智の巌下がんか
に千尺の飛瀑ひばく をこらえているよりは、どんなに、苦しいか、むずかしいか。──
それが、わからない源五兵衛では、自分の道づれとして、生涯をともにするのも、心もとないことではあると、ひそかに、思ってでもいるらしい容子ようす
であった。 この、東山の草庵に、起居してからも、夜半、ふと眼がさめる癖がついたのは、家を出る日、取りすがる幼子おさなご
を、縁の上から蹴落けおと とした
── あの一せつなの泣き声に ── いつも呼び醒さ
まされるためである。 「ひとり水をくみ、薪を割り、ふと、歌の一つも詠み出ようとすれば、谷のこずえも、双林寺の松も、あとに残してきた若い妻が、嘆なげ
く声にも似ていて、蕭々しょうしょう
とふき渡る風が、にわかに耳について寝られなくなるのである。 さらに、縁につながる、幾多の生木なまき
を、みずから裂いて来た科とが
として、自分の心も、のべつ、引き裂かれずには措お
かれない。 この悩みと、この哀れとは、生涯、離れうることはないであろう。だが、哀れをこそ、わが生涯の道づれにと、西行は、じっと、抱きしめている。紛まぎ
らそうの、忘れようなどとは、していない。 |