〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/02/10 (日) 女 院 と 西 行 (三)

小机のまわりの歌描やら、すずり などを片づけて、彼は、宵の燈火あかし とすべき、松の木を細かに小刀で割り始めた。また、源五兵衛は、携えて来た食べ物を、裏の流れで洗ったり、 へ、粥鍋かゆなべ を掛けたりしている。
(来るな、来てくれるな) と、西行が何度言っても、この朗従は、
(いくら、おしかりをうけても、いのちにかけ、参らでは、おりませぬ ──) という男なのである。
やがて、この元の主従は、今は、道の友のように、炉辺ろへん にすわって、粥など食べ始めた。食べ終わっても、話しに時を忘れている。
源五兵衛は、主人の出家した日から、自分も、武門に望みを絶ち、まだ髪こそ ろさないが、すでに西行が得度とくど した寺に誓いを入れて、西住さいじゅう という法名までこい受けていた。そして一日も早く、西行のそばへ来て、師と呼び、西住と呼ばれることを、望んでいるが、西行は、
(まず一、二年は、あとに残したわしの妻や幼子おさなご を、見とどけてくれい。そのうえならば・・・・)
と、容易には、許しもしない。──よいうよりは、源五兵衛の道心を、どの程度か、見ているのかも、知れなかった。
「お。・・・・うかと、忘れておりましたが」 と、源五兵衛は、やがて、一通の書面を、西行の前においた。
「待賢門院様の堀川ノお局から、つおでのおり、お手渡しして給もれとて、使いの者が、お待ちになったのでござりまする」
女の達筆は、読みにくい。
消息やら、歌やらが、こまごま葦手風あしでふう に、書きちらしてある。西行は、炉の火を、見つめたまま、いつまでも、ほだ の炎を、見つめたまま、いつまでも源五兵衛と、黙りあっていた。
黙っていることが、つか れになったり、空虚うつろ になるような、二人でもない。
待賢門院の女房のうちには、彼の、歌の友が多い。
堀川ノ局、二位ノ局、帥ノ局、中納言ノ局、紀伊ノ局 ── など、幾多の女性が、こんどの西行の発心には、みな、歌を寄せたり、消息をよこしたりしていた。
堀川ノ局の消息も、また、その一つといってよい。
だが、これには、縷々るる と、べつに ──自分たちが仕える待賢門院のわびしい起居のさまや、このごろのお歌などが、しるしてあった。女院には、あなたの御出家のうわさを聞かれて、御自身も、仏門に入りたい願いを、しきりに、お持ちになった御容子ごようす です ── などとも、書いてあった。
「さも、おわさめ・・・・」 と、西行は、思う。
遠からぬまに、それは、女院が好み給うと否とにかかわらず、おこり得る事と、うなずけるのであった。
童女のうちから、白河法皇にちょう せられ、後、鳥羽帝の中宮として立ち、生み給う崇徳は、やがて上皇鳥羽から。わが子に非ず、だれかの子よ、と冷たい仰せをうけるなど ── 待賢門院のお立場は、たださえ、複雑な、御心みこころ と御心との、間にあるうえに、今度の皇位の廃立はいりゅう にあたっては、いよいよ、そのむずかしさを、当然に、加えていよう。
さしも、絶美といわれた一代の容姿も、なんと、短い誇りであろう。──西行の記憶によれば、お年も、四十路よそじ をこえておられる。
だが、哀れなのは、その女院に君よりは、女院にかしず数多あまた な局たちであった。もし、女院出家のあかつきには、その人びとも、尼になるか、弱い女の運命を、世の流れに、散々ちりぢり にまかせて、いつかは行方も知れないことになろう。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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