小机のまわりの歌描やら、硯
などを片づけて、彼は、宵の燈火あかし
とすべき、松の木を細かに小刀で割り始めた。また、源五兵衛は、携えて来た食べ物を、裏の流れで洗ったり、炉ろ
へ、粥鍋かゆなべ を掛けたりしている。 (来るな、来てくれるな)
と、西行が何度言っても、この朗従は、 (いくら、おしかりをうけても、いのちにかけ、参らでは、おりませぬ ──) という男なのである。 やがて、この元の主従は、今は、道の友のように、炉辺ろへん
にすわって、粥など食べ始めた。食べ終わっても、話しに時を忘れている。 源五兵衛は、主人の出家した日から、自分も、武門に望みを絶ち、まだ髪こそ剃お
ろさないが、すでに西行が得度とくど
した寺に誓いを入れて、西住さいじゅう
という法名までこい受けていた。そして一日も早く、西行のそばへ来て、師と呼び、西住と呼ばれることを、望んでいるが、西行は、 (まず一、二年は、あとに残したわしの妻や幼子おさなご
を、見とどけてくれい。そのうえならば・・・・) と、容易には、許しもしない。──よいうよりは、源五兵衛の道心を、どの程度か、見ているのかも、知れなかった。 「お。・・・・うかと、忘れておりましたが」
と、源五兵衛は、やがて、一通の書面を、西行の前においた。 「待賢門院様の堀川ノお局から、つおでのおり、お手渡しして給もれとて、使いの者が、お待ちになったのでござりまする」 女の達筆は、読みにくい。 消息やら、歌やらが、こまごま葦手風あしでふう
に、書きちらしてある。西行は、炉の火を、見つめたまま、いつまでも、榾ほだ
の炎を、見つめたまま、いつまでも源五兵衛と、黙りあっていた。 黙っていることが、労つか
れになったり、空虚うつろ になるような、二人でもない。 待賢門院の女房のうちには、彼の、歌の友が多い。 堀川ノ局、二位ノ局、帥ノ局、中納言ノ局、紀伊ノ局
── など、幾多の女性が、こんどの西行の発心には、みな、歌を寄せたり、消息をよこしたりしていた。 堀川ノ局の消息も、また、その一つといってよい。 だが、これには、縷々るる
と、べつに ──自分たちが仕える待賢門院のわびしい起居のさまや、このごろのお歌などが、しるしてあった。女院には、あなたの御出家のうわさを聞かれて、御自身も、仏門に入りたい願いを、しきりに、お持ちになった御容子ごようす
です ── などとも、書いてあった。 「さも、おわさめ・・・・」 と、西行は、思う。 遠からぬまに、それは、女院が好み給うと否とにかかわらず、おこり得る事と、うなずけるのであった。 童女のうちから、白河法皇に寵ちょう
せられ、後、鳥羽帝の中宮として立ち、生み給う崇徳は、やがて上皇鳥羽から。わが子に非ず、だれかの子よ、と冷たい仰せをうけるなど ── 待賢門院のお立場は、たださえ、複雑な、御心みこころ
と御心との、間にあるうえに、今度の皇位の廃立はいりゅう
にあたっては、いよいよ、そのむずかしさを、当然に、加えていよう。 さしも、絶美といわれた一代の容姿も、なんと、短い誇りであろう。──西行の記憶によれば、お年も、四十路よそじ
をこえておられる。 だが、哀れなのは、その女院に君よりは、女院に侍かしず
く数多あまた な局たちであった。もし、女院出家のあかつきには、その人びとも、尼になるか、弱い女の運命を、世の流れに、散々ちりぢり
にまかせて、いつかは行方も知れないことになろう。 |