〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/02/07 (木) 女 院 と 西 行 (一)

改元されて、保延七年は、夏の七月十日からさき 「永治元年」 とよばれた。── 辛酋しんゆう甲子こうしとし には、年号を変える旧例があり、それにならったものである。
ところが 「永治」 は、わずか半年で、また変えなければならなかった。
同年の十二月。
かねてのことはあろうと予想されていたが、とつ として、崇徳天皇の御退位と ── 同時に、皇太子体仁なりひと の受禅が実現され、同月二十七日、即位式も、とり行われた。
新帝の近衛天皇は、まだ、乳の香もうせない、お三つという、いとけなさ。
ために。── “関白ヲ以テ、摂政トナス” と、布告された。
うじ ノ長者、太政大臣関白、藤原忠通ただみち が、これから摂政をも兼ねることになる。
退位された崇徳は、なお、二十二歳のお若さである。心にもない御譲位たるは、疑うまでもない。むざと若木を抜き捨てられ、まだ三歳にすぎない幼帝におきかえられた御無念さを、人びとは閉じた心に、はか り参らすのであった。一系の天子、万乗の君をすら、かくも容易に、他から動かす力は、何なのか、どこにあるのか。── あり得ないが、しかし事実なのに、おののくのだった。
幼帝近衛は、美福門院の生むところであるから、彼女は、鳥羽の寵幸ちょうこう に加えて、いまはまた、天皇の御母でもある。
女身至上の尊貴、国母の称と、窈窕ようちょう の美とを、女の生命に、あわせうけた彼女は、まさに、地上の栄花を、身ひとつにあつめた星の君とも見えもしたろう。
人ごころの、自然な考え方は、彼女が、鳥羽のみこころを、そそのか し奉ったもの ── と、自然のように、思いたがった。
鳥羽御自身も、そのへんの機微には、鋭敏になっていらっしゃるに違いない。
知る者は知る、上皇のお胸たるや、明らかである。 をかりて、御胸中のものをいえば、こともあろうか。
(かつて、わが若年の時、白河法皇が、われに試み給えるところを、われもまた、今日、崇徳に施したまでのことである) ── と。

※受禅
帝位をゆずり受ける。天子の位を受け継ぐこと。禅は、ゆずるの意。日本の政界では、 「禅譲」 という言葉がよく使われる。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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