〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-\ 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (一) ──
ち げ ぐ さ の 巻

2013/02/06 (水) 出 離 (一)

世の有様を、鳥獣とりけもの の遊戯に して、思うまま風刺画ふうしが を描き、自分も遊戯三昧ざんまい に暮していた鳥羽僧正は、保延六年の秋、忽然こつぜん と、死んだ。 ──八十余歳であったという。
「わしは僧侶そうりょ だから、死んでも、僧侶のお経は欲しゅうないなあ。法衣ころも のすそから、 を出している大僧正だの、大法師、小法師どものくら べなど、日ごろに描いておるので、仰山ぎょうさん に、葬式などしてくれたら、自分で自分を描いたことになり終わろうで・・・・」
くなる数日前に、そう言ったとか。こんな奇行もあったとか。かずかずな思い出も、今は、あるじ のない鳥羽の一草庵に降る落葉と同じものでしかない。
でも、九条家の施主せしゅ で、簡素な法要だけは営まれた。勅使もあり、院の代参も見えた。貴賎きせん 、雑多な会衆で、鳥羽はずれの田舎いなか びた草庵への道を、織るような人や牛車であった。
「お。六条判官どのの御子息でしたな。・・・・これは、思わぬ所で」
佐藤義清は、連れの男と一緒に振り向いて、そう言った。呼び止めたのは、源為義の子、義朝だった。道の木陰へ寄って、義朝は、あらためて、あいさつした。
「あれきり、お目にもかかっておりませぬゆえ、人違いしてはと、あやぶみましたが」
「まことに、かつてのおりは、朗従源五兵衛のことで、深夜、お騒がせいたしました。以来、お父上にも、ごぶさたのままで」
「いや、あのおりの非は、自分らの落度にあることで、仰せられては、面目もありません。── 今日は、義清殿にも、僧正への、さいごのお別れに」
「されば、浅いご縁でしたが、何か、なお会えるものなら、追って行きたいようなお人でした」 ──言いかけて、ひと、連れをかえりみ、義朝に引き合わせた。
「── 平太清盛どのです。お会いになるのは、初めてでしょうか」
「さあ、あるいは、お目にかかっているかも知れませんな。どこかで」
義朝と、清盛とは、相見て、笑った。
どちらも、若人らしい、健康と健康とが、向かい合ったまでで、笑くぼの蔭に、意味はない。
けれど、院の武者所と、外官げかん検非違使尉けびいしのじょう という、相互の立場からも、また、平氏の嫡男と、源氏の嫡子という、相似て、しかも対蹠的たいしょてき な境遇からみ、横から見ている義清には、この路傍の偶然が、こう二人の生涯に、これだけのものではないようにながめられた。
「近いうちに、わたくしは、東国へ下って、鎌倉に住むことになりそうです。相模さがみ武蔵むさし に、いささか受領じゅりょう の地もあり、同族どもも、あの地方には多いので。・・・・もし東国への旅のおついででもあったら、御両所にも、ぜひ鎌倉へおたずねください」
義朝の口から、そんな話も出たりして、やがて、おたがいは道を別れた。
義清は、無口である。日ごろもだが、今日の至って浮いていない。こういう性格の人間を清盛はあまり好きでないのだ。道は一緒に歩いたが、朱雀の辺まで、何ひとつ、二人の間で、話題になったものはなかった。
「では、ここで・・・・」 と、清盛は、一つのつじ で、袂を分かとうとした。別れ際になって、義清は、やっと、少し口かずをきいた。
「水薬師のお住居へ、お帰りか」
「うむ。あそこは、夜のさびしい所なので、妻も子供も、自分の帰りを、待ちぬくのだ。このごろは、子供の顔を見るのが楽しくてなあ」
「おいくつ?・・・・お子は」
「三つになった」
「それは、お可愛いことだろう。子の可愛さは、理屈なしだ。・・・・早く帰ってやり給え」
灯ともしごろの朱雀の辻で、こういって別れた佐藤義清が、それからちょうど、一月後の十月十五日、突然、出家しゅっけ したといううわさには、清盛も、少なからず驚かされた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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